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才能 その1
アリスは寝転び、ただガラス玉を眺めていた。雫のようなその球体の奥には、今目の前にあるこの世界とは隔離された別の美しい世界が映し出されていた。
野草の甘い匂いがアリスの鼻腔をくすぐる。この世界について何も知らない以上、アリスにとってはこの場所が最も安全な場所だった。爽やかな風が抜けていく。
「こうしていても仕方ないわね」
アリスは立ち上がり、服についた芝生を払う。もう一度ガラス玉を覗き込む。願うことで何が起こるのだろうか。その時のアリスには、強く願うべきことが何も浮かばなかった。
「君の『才能』は、そのガラス玉なのかい」
突然、背後の木の影から低い男の声が聞こえた。
「誰? そこに誰かいるの? 『才能』って何のこと?」
「そう……つまり君は今、来たばかりなのかな……」
いやに勿体ぶった彼の話し方にアリスは苛立つ。
「あなたは何なのよ、目的はなに? 余計なことは良いから簡潔に話して頂戴!」
木の背後の影が動き、男はアリスの目の前に姿を現す。大きな茶色いボストンバッグを手に持つ小太りの男。小洒落たブラウンのスーツを纏い、左腕には金色の下品な時計が輝いている。
「私はブラウン……見たまんまの名前、ブラウンだ。 そして目的はそうだな、君のそのガラス玉を譲ってもらうこと……」
ブラウンはアリスを鋭く睨みながら、指をふたつゆったりとした速度で立てる。
「私は今、ふたつ君に教えた……。 そして『才能』、これについても君は聞いたね」
アリスは彼から妙な気配を感じ、距離を取る。
「あなた、何か妙ね……。 私のガラス玉を渡すことは出来ないわ。 何だか分からないけど、少なくともあなたには渡さないって、そう決めたわ」
「ふふ、まあ良いさ」
ブラウンは余裕あり気に笑う。
「『才能』ってのはそう……まあ、俗称なんだけれどね。 人それぞれの能力さ。 理解して使えば剣にも盾にもなる。 勿論財産にも、だ」
「……」
アリスは警戒を強め、ガラス玉を強く握りしめた。この男には明確な敵意がある。逃げるべきなのか、どうにか抗うべきなのか。アリスの脳は音を立てるほど回転していた。
「さあ、これでみっつ。 こんなものだろうが駄目押ししておくとしよう。 僕の『才能』は等価交換だ。 教えた情報の料金を払ってもらおう」
ブラウンがポケットから一枚のコインを取り出す。それと同時にアリスはブラウンとは逆の方へと走り出す。彼は敵だ。理解のできない攻撃が始まってしまったことをアリスは理解したのだ。
「無駄さ! 私の『才能』は既に起動した!」
背後から聞こえるブラウンの声に、アリスは振り返る。
「答えなさい! 私に何を……」
アリスの手から、握りしめたはずのガラス玉が飛び出す。地面ではなく、ブラウンの方向へ。
「しまった!」
「いいや、君のミスなんかじゃない。 これが『才能』……。 もはや知る必要はないがね」
飛び出したガラス玉は、重力を無視してブラウンへと向かっていく。アリスは全力でそれを追いかける。
「私への対価だ! 取り戻すことなど出来るはずがない!」
ブラウンが有頂天に至ったかのように勝ち誇る。アリスは跳躍し、手を伸ばす。絶対に、取り戻す!アリスがそう強く思ったその時、指先がビー玉を掠める。目にはビー玉の奥にあるあの夜空が映り込んだ。
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