勇者だった頃

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勇者だった頃

「センセー、またねぇ!」 「はいはい。また明日。気を付けて帰るのよ。ほら、前向いて歩きなさい」 肩から腕が引きちぎれそうなほど力いっぱい手を振った少年は、先を行く友人たちと競い合うように駆けて行く。 子供達が去ってしまうと、途端に辺りは静まり返る。 アリーは一つ伸びをし、教会の中へと戻っていく。 教会の扉を開き、真っ直ぐに伸びる鮮やかな赤いカーペットの先、祭壇に人影がある。 「ありゃあ、魔法使いより剣士の方が向いてるんじゃねぇか?」 傾き始めた陽の光を受けて光るステンドグラスから振り向いた人影は、厳かな響きもない太い声を上げた。 アリーは細く息を吐く。 「ディオ。汗や泥で祭壇を汚さないで下さい」 「汚してねぇよ。相変わらず神経質なヤツだな……」 音を立てないように扉を閉めたアリーの苦言に、ディオはやれやれというように肩を竦めた。 カーペットの上を歩いて距離を詰めると、アリーの目にはディオの顔がよく見えるようになる。 年々、視力の衰えを感じるアリーはディオの前に立っても目を眇めていた。 ディオの体には傷が増えているのものの、身体付きそのものは衰えが見えない。 肉体的な衰えを感じ始めているアリーでは、子供達と同じくらいの生命力を感じてしまう。 しかし、短く刈り込まれた髪は前回会った時よりも全体的に薄くなっている。 幼少期に亡くなってしまったディオの父は、髪の一本も残っていない清々しいスキンヘッドだった。 アリーの視線に気が付いたディオは「何だよ」と自分の頭を掻く。 「何も」とアリーは首を振って返す。 「それより、ノイは魔法使いになるんです。そのために、あんなに小さいうちから魔法を勉強しているんです」 「あんなに小さいって……。過保護も相変わらずだな」 「大体貴方、前に来た時も勝手なことを言って私の教え子を攫って言ったでしょう」 「攫ってねぇよ!人聞きの悪い。アイツには剣士の才能があって、なおかつアイツが自分で決めてオレについて来たんだよ」 フン、と鼻を鳴らすアリーに、ディオは「十歳くらいだろ。小さいって言うほどじゃねぇだろ」と呟く。 剣士を育てるディオは、早ければ三歳になる子供に木刀を持たせる。 対するアリーは本来なら十五歳から入学出来る魔法学校の教員だ。 二人の見る教え子の年齢層には大きな溝がある。 お互いにそれを分かっていながらも、対立するように口を出し合ってしまう。 こういう時、慣れ親しんだもう一人がいれば、と二人は思う。 「……アイツ、今頃どこで何してるんだかなぁ」 ふとステンドグラスへ視線を向けたディオが呟く。 アリーは相槌を打つことなく、同じようにステンドグラスを見上げた。 二人は色とりどりのガラス片の中に、忽然と姿を消したかつての仲間を見る。 かつての仲間の姿は十代の少年と青年の狭間で止まり、二人とは歩みを違えてしまった象徴のようだ。 燦然と輝く黄金の髪と澄み渡った青空の瞳を持つ仲間は、生まれ付き右手の甲に不思議な形の痣を持っていた。 それこそが伝説の勇者の証と言ったのは国王だ。 当時のアリーとディオは勅令によって集められた勇者一行だった。 アリーは王国唯一の魔法学校首席生徒で、ディオは王国騎士団に所属したばかりだった。 「懐かしいなぁ」と呟くディオだが、それらは全て過ぎ去った過去だから言えることだ。 三者三様と言えば聞こえは良いが、アリーとディオはそれぞれの分野において自信と誇りを持っていた。 世界中に溢れた魔物を倒す度に二人が言い合いになり、勇者が間に立って仲を取り持った。 最初はそのことにすら反発していた二人だが、勇者の性質なのか上手いこと三人でバランスが取れるようになっていく。 勇者はアリーに魔法を教わり、ディオからは大剣すら軽々と振れる肉体を作らされた。 言葉数の少ない仲間ではあったが、それでも職人気質に肩書き以外の勇者の力を手に入れていった。 「実際に三人で過ごしたのは、一年少しでしたけどね」 丸一年、魔物を倒して力を付け、魔物を生み出す魔王を倒すことが出来た。 帰還すると宴だ凱旋だと駆り出され、その頃にはまだ勇者もそばに居たのだ、と二人は思い出す。 それが全てを終えた翌日、誰にも何も告げずに勇者は姿を消した。 何故、どうして、という疑問はこの数十年で消え、もしも、また出会えたなら、という思いが募る。 会ったところで、何をする訳でもない。 ただ、あの頃は、と三人でアルコール混じりに語らいたいのだ。 *** 「オジサン、これ借りてもいい?」 ノートパソコンのキーボードをバチバチと叩いていた俺は、甥っ子の呼び掛けに顔を上げた。 気づかないうちに随分と前のめりに作業をしていたらしい。 丸まった背中を伸ばす。 「どれ?」 首を回しながら聞けば、これ、と甥っ子がリビングのソファーから立ち上がってゲームソフトの入ったパッケージを持ってくる。 今でこそパッケージに入ったゲームソフトを買わなくとも、インターネットに繋いでダウンロードすることが出来るものの、当時のゲームはパッケージ版しか存在しなかった。 ビニールの中に入ったパッケージイラストの紙は、四隅が薄らと日焼けをして色が落ちている。 「あぁ、また随分古いものを」 二十年以上前のゲームに懐かしさが湧き上がる。 勇者一行が世界を脅かす魔王を退治するという単純なRPGだったが、当時はかなり人気だった作品だ。 後年にも同タイトルのナンバリング作品がいくつも発売された。 俺は甥っ子からパッケージを受け取り、表面から裏面へとひっくり返す。 裏面には大雑把なストーリー説明と、キャラクターの立ち絵やゲーム画面の写真が載っている。 甥もそれを覗き込み「借りていい?」と聞く。 「それはいいけど。お前、ハードは?ソフト自体古いんだから、ゲーム機も昔のやつだぞ」 「今のやつで互換性ないの?」 キョトン、と目を丸めた甥っ子は首を傾げた。 今年高校生になったといっても、そこかしこに幼さが残る。 「ちょっと待ってくれ」と、作業中のダイニングテーブルを振り返り、スマホを持つ。 購入から一年かけてフリック操作を覚えたが、メールか電話か調べ物にしか使わない宝の持ち腐れだ。 ブラウザを開いて、今売っているゲーム機を調べる。 その間、甥っ子は俺の手からソフトのパッケージを抜き取り、中を開けた。 ソフトも説明書も揃っている。 説明書を抜き取って目を通す甥っ子に、スマホから顔を上げた俺は「無理だ」と言う。 「一つ前のゲーム機で出ていたソフトは使えるらしいが、それ以上前のものとなると使えないらしい」 「えー。オジサン、ゲーム機も持ってたよね。あれ、まだ使える?」 「あー。うーん。どうだろうな。それも長いこと使ってないから……」 甥っ子は「分かった」と言うと、ダイニングを出て俺の寝室へ向かう。 リビングのローテーブルの上に広げられた、パッケージ版のゲームソフトは俺の寝室のクローゼットに押しやっていたものだ。 ゲーム機も長らく使っていないので、それぞれ同じようにあるだろう。 すっかり勝手知ったる他人の家、という様子だ。 三つ上の姉の一人息子である甥っ子は、産まれたてのふにゃふにゃした頃から知っている。 中学生の半ばでグングン伸びた身長は既に俺を越えていた。 若い体はしなやかな筋肉をまとい、隣に並ばれると少々の圧迫感を覚えるほどには成長しただろう。 甥っ子を産んで直ぐに離婚した姉は、さっさと実家に帰ってきて一年そこらで仕事復帰を果たした。 当時、実家を出ていなかった俺が甥っ子の面倒を見ることもあった。 実家を出たとしても、姉が訪ねてきて甥っ子を預かることもあった。 今では姉も実家を出ているが、甥っ子からすれば自宅も姉や俺の実家も、俺の家も慣れ親しんだ第二第三の自宅だろう。 中学三年生の去年には、進路について姉と酷く揉めたらしく、アポなしで訪ねてきたかと思うと、一ヶ月ほど滞在していた。 それを考えれば、しまい込んだゲームソフトの貸出も、クローゼットの奥からゲーム機を引きずり出されるのも些事だ。 「オジサン、あった」 小脇にゲーム機と片手にコントローラーを持って、甥っ子が戻ってくる。 持って帰るのに使えそうな紙袋はあっただろうか、と考える俺に対して、甥っ子はいそいそとテレビの前を陣取った。 「え。今やるのか」 「やるよ。オジサンも一緒にやろうよ」 テレビにゲーム機を繋げながら、甥っ子が手招きをする。 「RPGだぞ。一人でやるもんだ」 「オジサン、つまんないこと言うね。折角、テレビの大きな液晶でゲームをするんだよ。プレイヤーは一人でも、見るのは二人で出来るじゃん」 小学生くらいの頃は、学校が終わると家の玄関にランドセルを放り投げて友達の家へ遊びに行った。 その時には、テレビもゲーム機もコントローラーも一つずつしかないのに、何人も集まってゲームの進行具合を眺めていた。 俺は肩を竦めて、ノートパソコンを閉じる。 「さっきも言ったけど、そのソフト随分古いぞ」 「オジサン知らないの?今度の新作、この後の話なんだよ」 「マジか」 「マジだよ」 同タイトルのナンバリング作品がいくつも発売されたが、どれもこれも世界線が別物だった。 パラレルワールドのように横に広げられた世界で、プレイヤーとしては過去作の記憶と新しい世界で、知っていることと知らないことを同時に体験する。 続編という形になるのだろうか、それは初めてのことではないだろうか。 もう何年も新作のゲームに触れていないはずが、気になってしまう。 隣では甥っ子がセットしたゲーム機にゲームソフトを入れる。 ゲーム機の中でソフトが動き、かたかたと音を立てた。 暫く使っていなかったが、無事に起動する。 「おー」と両手を打つ甥っ子を横目に見ていると、「そういえば」と勢いよく俺の方を振り向く。 目頭に対して目尻の方が少し高いところが、姉に良く似ていた。 「オジサンって、最近のゲームはあんまり持ってないよね」 どうして?と甥っ子は首を傾げる。 何となく目を逸らして、テレビを見た。 「……大人になったからかな」 「大人でもゲームしてる人なんていっぱいいるよ。それを仕事にしてる人だっているんだよ」 「それは、確かに。軽率な発言だった」 「いや、そんなに重く受け止めなくていいよ。ただ、今度の新作は買わないのかな、と思って」 テレビは真っ黒な画面からゆっくりと光を帯びて、ゲームソフトを出した会社のロゴが浮かび上がる。 ゲームは小学生の頃から好きだった。 中学生になっても、高校生になっても好きだった。 大学生の頃も好きだったが、就職活動が始まってからゲームに触れる時間は少なくなった。 社会人になり働き始めると、ゲームのゲの字すらない日々だ。 新作のゲームソフトが出ようが、ゲーム機が出ようが、買うことすらしなくなった。 当然、その手の新しい情報が入ってくることもない。 だから、学生時代にハマったゲームの新作すら、続編が出ることすら、知らなかったのだ。 ゲームをしなくなった理由、ゲームから離れた理由、テレビ画面に浮かぶタイトルロゴを見て考える。 大人になったから、社会人になったから、働いているから、どれも違う。 ゲームが嫌いになったのかと聞かれれば、それも違うと答えられる。 変わっていく生活の中で、こぼれ落としてしまったのだと思う。 ゲームをしなくなってから、特別に新しい趣味を持ったのかと言えば、そうではない。 仕事をしてご飯を食べて眠り、また仕事が始まる。 大人になったから、なんて詭弁だ。 ピクリと指先が跳ねる。 ゲーム機やゲームソフトをクローゼットの奥に仕舞い込んだ時、俺は大人になったんだから、と思った。 大人はゲームをしないものだと考えた。 「……いや、大人でも、ゲームはするよな」 「だから、そう言ってるけど」 訝しげに眉を顰めた甥っ子に、手を差し出す。 「新しく始める前に、少し前のセーブデータを見せてくれないか。クリアしたやつが残ってるはずだ」 思い出す。 夢中になってクリアを目指した頃を。 夜更かしをして寝不足で学校に行ったことすら思い出し、あの頃は若かった、などと年寄り臭いことを考える。 甥っ子はパッと顔に喜色を滲ませると、俺の手にコントローラーを握らせた。 あの頃は中身の見えるスケルトンが流行っていた。 今見ると壊れないか不安になる。 「いいけど。オジサン、ネタバレはダメだよ」 「た、多分大丈夫だ」 「後、新作買ったら一緒にやろうよ。ゲーム機は俺の貸してあげるよ」 「ああ。……いや、折角だから俺も一式揃えようかな」 テレビ画面の中のつづきから、を選ぶ。 俺の言葉に甥っ子は笑い声を立てて、ドシン、とぶつかってくる。 「いーじゃん。いーじゃん!」と。 暗転したテレビ画面はゆっくりと、物語を終えた世界に変わっていく。 世界の危機に集められた勇者一行、勇者は俺だった。 続編でも、俺は勇者になれるのだろうか。 かつての仲間を思い出し、テレビ画面の中で俺は駆け出した。
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