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(一)アシスエデン
少女は泣いていた。
季節は春三月。中学を卒業したばかりの少女は、父親の好きだった大桟橋の外れにひとりぼっちで立っていた。目の前には港町横浜の港の夜景が広がっている。ヨットハーバー、山下公園、連なるハーバーライトの波また波、絶えることなく打ち寄せる夜の海の潮騒……。
父親の好きだった大桟橋……詰まり、過去形。なぜなら少女の父親は、今朝、五十歳の若さで息を引き取り、帰らぬ人となったからである。それ故少女は最愛の父の死を悲しみ、ひとりばっちで泣いていたのだった。
ところがそんな少女の耳に、不意に何かが聴こえて来た。幽かに、けれど確かに……。
何。
驚いた少女はつい泣くことも忘れ、音に向かって耳を傾けた。その正体は、誰かの歌う声だった。聴き覚えのない女の人の歌声……。
でも、何処からこんな歌声が。少女は訝った。周りをきょろきょろ見回してみても、何処にも人影などない。さっきから音を立てているのは、波止場に砕け散る波、潮騒だけである。なのに確かにその歌声は波音に混じって、少女の耳に響いて来るのだった。
少女は頬に落ちる涙の滴もそのままに、歌う声のする方角へと目を向けた。暗い夜の海の水平線の彼方へと。例えば潮風が少女の体を包むように、そしてそのミステリアスな謎の歌声は、悲しみに沈む少女の心をそっとやさしく、包み込むのだった……。
(一)アシスエデン
西暦二〇一五年。アフリカ大陸の南方に、ザンビアとジンバブエに挟まれた『アシスエデン』という国があった。
この国は、面積約一万五百平方キロメートル、人口約百五十万人という貧しい小国であった。しかしながら立派な農業地帯、台地、平原が広がり、山脈があり、砂漠もあり、それから湖と河川があった。ただし海はない。
アシスエデンには、主に『グリラ族』が住んでいた。この民族は陽気で、みんな歌って踊ることが大好きな黒人たちである。
国の言語はふたつ有り、英語と地元の『グリラ語』である。国民はその時々で必要に応じ、英語とグリラ語とを上手く使い分けていた。
この国には、野生動物も多い。ワニやカバが川沿いに、山にはゴリラが、また平原には象が棲息していた。しかし国民のモラルは非常に高く、密猟などというあくどい所業を犯すような不届き者は誰一人としていなかった。
首都『トピア』の中心部には、近代的なビルが建ち並ぶ。ここには官公庁、外資系を含めた企業、銀行のオフィスが集中し、ホテル、娯楽施設、商店、レストランが所狭しと連なり、先進国の都会にも見劣りしない洗練された都市空間を構築していた。
しかしながら現代文明の栄華を感じさせる街並みが見られるのも、僅かにこのトピア中心部のみである。ここ以外の地方都市、村落は勿論のこと、トピア内部ですら郊外に一歩足を延ばせば、その光景は一変する。広大な農場地帯が果てしなく何処までも続き、その中にぽつりぽつりと農民たちの集落が見られる程度だった。
国の政治体制は一応議会制民主主義の形を取ってはいたが、国連に加盟することもなく独自の道をひたすら歩み、『ゴリラン大統領』による独裁政治が長期に渡って続いていた。
確かに独裁ではあったが、国民の味方だった。農地を国民にただ同然で貸したり、税金が安い、或いは低所得者は無税にするなど、弱者、国民思いの政策を誠実に実行しており、現在のところ国民の間にゴリラン大統領への不満は一切なかった。むしろゴリランが既に八十歳の高齢を迎えていることもあって、彼以後の後継者について殆どの国民が心配していた。
では産業並びに経済面を見てみよう。アシスエデンにはこれといった資源も観光地もなく、また工業も発達は遅れていた。その為どうしても、農業中心に成らざるを得なかった。従って大部分の国民は農業に従事しており、農民たちはみな貧しく、質素な生活を送っていた。例えば多くの大人たちが朝食を取らず、一日二食の食生活をしている。しかし自給自足のライフスタイルが定着しており、日本人には理解し難いかも知れないが、貧しいことに不満を抱く者は殆どいなかったのである。
農業以外ではインフラを支える公共事業を請け負うゼネコン、衣食住に関わる製造業(例えば衣料、食品加工、建築、家具、日用雑貨、紙、その他楽器遊具などの製造)と、それらの商品の流通業、小売業、サービス業などがあった。農産物も含め海外との貿易は電化製品や車の輸入など極僅かで、殆どの商品、物資は国内の需要と供給とによって上手く賄われていた。詰まり贅沢さえしなければ、国内の自給自足で何とかやっていけないこともないという現状だった。
また金融面では日本などと異なり、国家が中央銀行を所有していた。詰まりアシスエデン政府自身が、自国の貨幣(単位は『エデン』)を発行していたのである。その為、商業銀行は発行された貨幣の市場、国民への流通と、決済業務だけを担っていた。
次に環境、衛生面はどうか。インフラ、公共施設、医療機関等が先進国並みに整っているのは、矢張り首都トピア中心部に限られ、郊外、地方に出るとまだまだ不充分であった。
電気は国の全土に供給されていたが、不安定で停電は日常茶飯事。これが電化製品の普及を妨げているひとつの要因である。ガスの供給もまた首都中心部のみに限られており、他の地域には設備すらなかった。通信設備も似たようなもので、田舎には公衆電話が集落にひとつあるかないかといった程度に過ぎなかった。
水道設備も完備されているのは矢張り首都中心部のみで、田舎では専ら井戸水に頼っていた。風呂、シャワー、トイレの普及率も低く、衛生環境は劣悪と言うしかなかった。ただし売春、風俗産業は法律で禁じられ、厳格にそれが守られているせいか、HIV、その他性病感染者は殆どいなかった。
文化面もまた同様であった。マスコミ、図書館などの文化施設もトピア中心部に集中しており、郊外と地方の民家にはTVもラジオも新聞もなく、書籍の類すら少なかった。またアシスエデン自体には、ショービジネス、芸能界といったものは存在せず、トピアで見られるTV番組は報道を除いてすべて、海外からの輸入に頼っていた。
教育体制は小学校、中学校、高校、カレッジとあった。小、中学校は義務教育であるが、多くの国民は貧しい為、中学に通えない子も多数いた。田舎の学校の生徒たちは教科書を共有し合い、ノートとペンを交代で使っており、多くの小学校は校舎を持たず、野外で授業を行っていた。
宗教はキリスト教徒が殆どで、皆信仰心が厚く、熱心に教会に通っていた。その他、大地や火、水といった自然を崇める土着の信仰も存在する。
最後にアシスエデンの治安についてであるが、国民は皆真面目で穏やか。しかも信仰心がある為、貧しいながらも助け合いながら暮らしていた。そのお陰で治安は良かった。むしろ先進国並みの生活水準を有し貨幣経済に大きく依存したトピア中心部ほど、窃盗や暴行などの犯罪が時折り見受けられた。
このようにアシスエデンという国は経済的には決して豊かとは言えず、むしろ貧しい位である。が国民は皆穏やかに、日々を逞しく生きているのだった。
このようにアシスエデンは貧しい国であったが、それに付け込んだ米国と西欧諸国の首脳が、西暦二〇〇〇年、アシスエデンを経済的に隷従させ支配しようと企んだことがあった。
具体的には独裁者ゴリランに対し、アシスエデンの中央銀行を民営化し、国際決済銀行に加盟させること、並びに国連と国際通貨基金(IMF)への加盟を迫った。もし従わなければ経済制裁を実施すると共に、政権転覆の市民革命を起こすぞと脅しをかけた。ところがゴリラン大統領は、国民を不幸、否地獄に陥れるような脅し、外圧に屈する訳にはいかないと、断固これを突っぱねたから、さあ大変。
欧米諸国首脳は烈火の如く怒り、すぐさま自国のメディアを駆使して先ずはゴリラン大統領のネガティブキャンペーンを展開した。国連にも加盟出来ない野蛮国家の、ヒトラーも顔負けの独裁者ゴリランだとか、アシスエデンの至る所でジェノサイドが行われ国民を犠牲にして贅沢三昧、酒池肉林に耽る狂気のゴリランだとか、そりゃもうあることないこと言いたい放題。しかしそもそも国連に加盟していないゴリランには、これらネガティブキャンペーンに対して、反論し国際社会に訴える手立てすら何ひとつなかったのである。
そして欧米諸国首脳たちは予告通り、国連安全保障理事会の決議に基づいた経済制裁を発動した。しかしこれは、アシスエデンに大きな打撃を与えることは出来なかった。なぜなら被害は限定的であり、困ったのは国民の中のほんの一部、先進国かぶれの物質的利便さと贅沢を享受する金持ちと役人のみにとどまったからである。対して、大半の国民は元々質素な環境で暮らしていたから影響を殆ど受けず、たとえもし経済的に何か不自由することがあったとしても皆我慢強くタフだから、黙々と耐え忍んだであろうことは想像に難くない。
先のゴリラン大統領に対するネガティブキャンペーンにしても、幾ら国際世論で批判が高まり、彼の国際社会に於ける立場が悪化しようが、それによって大統領職から失脚、追放させられる訳でもないから(もしそうなったら内政干渉)、実質的には何らの効果もなかった。ゴリランにしてみれば痛くも痒くもないから、どうぞ好きにおやんなさい、と静観の構えでいられたのである。
そこで仕方なし、欧米諸国首脳の面々は遂に実力行使に及んだ。まずゴリラン大統領の暗殺を謀ったのである。しかし流石は独裁者、そこら辺のガードは実に堅かった。自分の周囲に強力なガードマンを配置するのは勿論、国境の警備と国内で唯一の空港であるトピア国際空港の入国チェックを厳重に行い、国外からの暗殺者を退けた。
そこで次なる手は、革命である。予告通りゴリラン政権の転覆を狙って、アシスエデンの国中で独裁を批判して民主化運動を起こし、貧しい国民を扇動する。そして国全体でゴリラン反対の渦を巻き起こして首都トピアへ雪崩れ込み、仕上げは暴力的な革命を起こしてゴリランを大統領の座から引き摺り下ろす。後釜には西側諸国の傀儡を据え、自分らに都合のいい政策を押し付ける。とまあシナリオは、こんな具合。
名付けて、じゃーん『トピアの春』。
早速CIAが養成した扇動員、所謂民主化運動員たちがアシスエデンに続々と観光客を装って入国した。彼らは迅速に国内各地に飛んで、貧しい農民たちを前にゴリランの横暴を批判し、革命を訴えていった。
「みんなーっ、騙されちゃいけねえよ。やつが俺たち国民の財産を独り占めしてやがんだぜ」
「民主化すれば、もっと金持ちになれる。良い暮らしが出来るし、みんな楽になれるんだ。ほら、ヨーロッパ各国の市民生活を見てみなよ。みんな贅沢してるし、便利だし、実に幸せそうじゃねえか」
「さあ、みんなで立ち上がり、ゴリランを倒そう。そしてこの国を、すべての金を、我々民衆の手に取り戻そうじゃないか、なあ諸君。そしてみんなで幸せになるんだ。さあ、エイエイオー」
しかし扇動に対するアシスエデンの国民、貧しい農民たちの反応は鈍く、一向に乗って来る気配はなかった。
「あたしたちのボス、ゴリランは、そんな悪いやつなんかじゃないわ」
「あいつはね、国民思いの本当にいいやつなんだよ。俺たちゃ、今の生活に充分満足してるしね」
「そうそ。そりゃ確かに貧しくて不便かも知んないけど、わしらその日の食いもんさえありゃ、それで充分だしね。後はのんびりやれりゃ、言うことなし。今の暮らしのまんまで、充分幸せなんだよ」
ありゃりゃ。駄目だ、こりゃ。こうして民主化運動は、あえなく挫折した。残る手段は暴力に訴えるのみ、即ちテロである。CIAの手先である民主化運動員たちがそのままアシスエデン内に潜伏して、今度はテロリストに大変身。次々と各地でダイナマイト、手榴弾を使った爆破騒動を起こしていった。
これにより確かにそれまで平和だったアシスエデンに大きな被害と打撃を与え、穏やかな国民たちはパニックと悲劇に見舞われ、肉体的にも精神的にも大きな傷と深い悲しみを負った。しかしこれも徐々に鎮圧されていった。以後テロリスト侵入防止の為、観光客への厳しい入国チェックが為されることとなった。
こうしてアシスエデンの国家転覆工作が悉く失敗に終わった欧米諸国の連中は、とうとうやけっぱち。どうしたかと言えば、アシスエデンという国家自体を世界地図から抹消するという暴挙に出たのである。
世界地図から抹消……。具体的にどうしたかと言えば、先ず国連の場で独裁国家アシスエデンについて協議を行い、国連安全保障理事会が、同国を野蛮な『ならず者国家』として非難声明を発表した。
そして西暦二〇〇五年八月十五日のこと。先の経済制裁、民主化運動も成果が見られなかった点を鑑み、ここに国際社会は同国を主権国家として認められない旨を、全世界に向かって高らかに宣言したのである。この宣言を、『アシスエデン・国家廃絶決議案』と呼んだ。
この決議案を根拠として、国連は全加盟国に対しアシスエデンを国家として認めず、可能な限り外交関係を絶つよう要請した。この要請に強制力はなかったが、多くの加盟国がこれに同調した。
日本も同様、右に習えで従った。何しろ日本は、第二次世界大戦終戦後から米国の言い成り。かつ終戦から既に何十年と経過した今ですら、国連憲章上は未だ連合国の敵国扱いにされたまんまなのである。そんな我が国、日本であるからして、従わざるを得なかった。
よってこの時より日本を始めとする国連の殆どの加盟国に於いて、アシスエデンという国は存在しないものとなってしまったのである。こうしてアシスエデンは、世界地図から抹消されてしまったという訳。地球上でも僅かにアフリカ大陸の近隣諸国、南アフリカ、ザンビア、ジンバブエなどの数カ国だけが、継続してアシスエデンを国家として認め、外交関係を維持しているのみであった。
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