(二十五・二)ダンボールに口付け

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(二十五・二)ダンボールに口付け

 降り続く雪の中で、降り頻る雪たちに捧ぐノラ子の歌。幾数千万の雪たちが、今ノラ子へと舞い落ちる。顔に肩に頬に唇に、そしてノラ子の震える声へと、舞い降り、シュッと融けてゆく。  ノラ子が歌い終わるその時、ステージの上空に何かが現れる。何かひとつの物体が浮かんでいるのに、観衆が気付く。そんなに大きくはない。 「何だ、あれ?」  ざわざわと皆が空を見上げる。降り頻る雪が舞う、夜空の中のその一点を。どうしたの、みんな?ノラ子も客と共に、上空に目を向ける。ワイルドキャッツのメンバーも息を呑み、見詰めている。どきどき、どきどきっ……。  あ、分かった!ノラ子はいち早く気付く、それが何かを。激しく吹き荒れていた木枯らしが突然、ぴたりと止まった。すると、空に浮かぶそれが重力に引き寄せられ、落ちて来る。ゆらりゆらり揺ら揺らと、それは、歌姫ノラ子の頭上へと。あと少し、あとちょっとで、ノラ子の上に落下する。落下、する……。 「危なーい!」  ファンのみんなが絶叫する。悲鳴、悲鳴。 「ノラ子、逃げてーっ」  だけどノラ子は顔を上げたまま、じっとその場に立っている。立ったまま、ノラ子はその両腕を大きく、大きく広げた。丸でそれは祈りのポーズにも似て、落ちて来るそれを、受け止めんとするつもりなのか。  ノラ子は確かに待っていた。笑みを浮かべながら、それが、自分の許へ、自分の胸の中へと落ちて来るのを。 「ノラ子、大丈夫?」 「何してんの、あの子?」  息を呑む観衆。そして響子、ノラ男もまた然り。  でも、大丈夫!ノラ子は落ちて来たそれを、しっかりと、自らの胸に受け止めたから。 「ナイスキャッチ」  観衆からため息が漏れたかと思うと、それは直ぐに歓声に変わった。 「流石、我らが歌姫、ノラ子」 「ヒューヒュー、ノラ子。最高ーーっ!」  ノラ子の胸に落下して来たもの、それは一個のダンボール。空っぽの、そして横面には印刷の文字が、こう刻まれていた。 『Dream Company』  じっとその文字を見詰めるノラ子。ノラ子の脳裏に今、遠い日の記憶が鮮やかに甦る。遠い日の、それはほんの一瞬だけ追憶を許された、野良猫として生きていた日々の記憶……。  懐かしさが怒涛のようにノラ子の胸に込み上げ、ノラ子は溢れる涙を抑え切れない。思い切りダンボールを抱き締めるノラ子。その瞳には、涙の海。  くんくん、くんくん。ダンボールのにおいを嗅げば、懐かしい、黴臭いにおいがしていた。  あなたにあいたかった。だってわたし、あのよるからずっと、あなたのことをさがしていたんだから。ねえ、おぼえてる?あなたのなかで、わたしがくらしていたこと。ずっとあなたといっしょに、いきていたひびを。ねえ、はげしいあめにうたれ、かぜにふかれ、ときにまっしろなゆきが、あなたにふりつもったね。ともにあつさにあせをながし、さむさにふるえながら、あめのおとをきき、かぜのうたをきき、ほしのまたたきを、はらっぱにおいしげった、くさたちとつちのうたをみみにしながら、わたしたち、いくつよるをこえ、いくつよあけのしずけさをわかちあったことでしょう……。ねえ、おぼえてる?あなた。おぼえていてくれましたか、あなたは、わたしのことを……。  ダンボールに頬を寄せ、頬擦りし、そしてそっと口付けをするノラ子だった。
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