(一)野良猫の秘密

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(一)野良猫の秘密

 親愛なる、野良猫に捧ぐ。  (一)野良猫の秘密  野良猫は、雪の音を聴くことが出来る。雪が空から舞い降りて、風に吹かれ雪同士でぶつかり合ったり、地面に落ちて融けたり積もったりする音を。  くんくん、くんくん……。野良猫は雪のにおいも嗅げ、それは犬よりも鋭い。雪はいつもほろ苦く切ない恋のにおいをさせながら、灰色の空からまっ直ぐに降ちて来る。  野良猫に聴こえる雪の音は、誰かの歌う声に似ている。くすくす誰かの笑う声にも似ていて、だから野良猫はつい泣きたくなってしまう。なぜなら昔好きだった誰かのことを思い出しそうで、懐かしい人の面影が浮かんできたりしそうで。だからそんな時野良猫は、いつも大きな欠伸をして涙を誤魔化すのさ。  しかしながら雪に関するこのふたつの習性なれど、飼い猫には出来ない。お察しの通り人間に飼い慣らされた猫たちは、その代償として野性を捨て去らざるを得ず、これもやむを得ないのである。  同時に野良猫には、夢が見える。眠りの中でまどろむ夢の方ではなくて、焦がれたり、追い駆けたりする方の夢。他人或いは他猫のそれが雪の結晶みたいに見えるというから、野良猫と言えども侮れない。夢ならば、どんなささやかな夢でも美しく見えるそうで、叶わなかった、届かなかった夢程、更にまばゆく美しいと来ているらしい。美しいものに最上の敬意を払う野良猫は、夢を持つ人にやさしく、ましてや挫折した夢を抱えた人にはもっとやさしい。野良猫は夢の叶わなかった人が、いとおしくてならない。  これら野良猫の習性はみな、紛れもない事実なのだが、そのことに気付いた人間は、残念ながら有史以来未だかって一人もいないのである。
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