暗渠血海

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 舟蟲は一行を眺めた。  彼らは舟蟲と奈菜の会話に聞き耳を立てることもなく、ただ広いだけの待合室の中をぐるぐると見て回っていた。下ろされたブラインドに指をかけて、外の景色を眺めているのは、就活中の阿久根淳だ。  連中は動物園の空っぽの檻の中にいるようなものだが、それでも好奇心は満足したのか、次の場所へ行きたがった。  ピレイは団体さんの案内役のように次の部屋へ向かった。 「ここは武官室です」  武官室というのは軍事情報を収集、分析する専門家の部屋である。鰻の寝床のように細長い部屋には何もなかった。機密性の高い部署だけに、廃館時にすべて処分されていた。ピレイがその旨を説明すると、ツアー客たちは頷いただけだった。  武官室の隣室は武官セクレタリー室だった。その部屋も細長い部屋だが、机と椅子だけはそのまま放置されていた。机の上には黄色く変色した水差しとコップが並んでいる。  伏見が水差しとコップに一眼レフカメラのピントを合わせている。そのかたわらでリーダー格の遠沢拳也がスマホを取り出して、動画撮影を始めた。 「遠沢、何か写りそうか」  リクルートの阿久根が二学年下の後輩に話しかけた。 「いや、その、なんかちょっと変なんですよ」遠沢拳也は頭を傾げた。「スマホのスイッチがすぐ切れちゃうんですよ。おっかしいなあ」 「マジか。じゃ、俺がやってみるか」  阿久根は本気にしてはいないような笑い声をたてながら自分にスマホを取り出した。そして、彼も「んんん?」と、しきりにタップを何度も繰り返した。  舟蟲はハッタリをかますことにした。少しでも雰囲気を盛り上げてやろうと思ったのだ。若い彼らを少しでもビビらせ、霊を信じ込ませ、追い払うのだ。大使室のサティオ人形の件は、ラストインパクトにするつもりだ。 「実は、十年ほど前に、この部屋で拳銃自殺した者がいるんだ。銃口を口に咥えて引き金を引いたから、脳漿と血がそこらじゅうに飛び散ったそうだ。自殺の動機は曖昧のままになってる。大使館内は治外法権だから、日本警察の捜査もうやむやになった。遠沢拳也くんといったけ? ちょうど君が立ってる場所に机と椅子があってね、そのあたりは血の海だったらしい」  遠沢拳也の動きが止まった。スマホをポケットに戻した。  阿久根淳も青ざめた顔になって、スマホをリクルートカバンにしまい込んだ。他の仲間たちも身体を固くしているのが、舟蟲にも伝わってきた。「よし、それでいい。むやみに写真は撮らない方がいいぞ。じゃあ、次行くか」  舟蟲はカメラを構え続けている伏見を見つめた。彼の場合は、さらに探求心を掻き立てられたらしかった。舟蟲の警告を無視して、シャッターを切り続け、さらに動画モードに切り替えた。「かつて、ここで拳銃で自分の口の中を撃って、自殺した人がいるそうです。私は、今、その現場にいます」  胸元のピンマイクに向かってレポートしている。
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