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プロローグ
「古谷先輩、好きです。私と付き合ってもらえませんか?」
古谷は驚いた表情をした後、優しく微笑んで答えた。
「水川ありがとう。でも、ごめん。俺今、好きな人がいるんだ」
彩音はそう言った古谷の真剣な目に、それ以上何も訊く事が出来なかった。うつむく彩音に古谷が声をかける。
「水川、いつから俺の事を?」
「……古谷先輩の研修を受けていた時から…」
「そっか。ごめん。水川の気持ちに気づかなくて…」
「いえ…」
「水川の気持ちは素直に嬉しいよ。ありがとう。でも、ごめんな」
優しく礼を言い申し訳なさそうに謝る古谷に、彩音は顔を上げて微笑み首を横に振った。
「気持ちを聞いて下さってありがとうございます。古谷先輩、営業部でも頑張って下さいね」
「あぁ…まぁ、あまり変わらないんだけどな。同じ3階だし」
「ふふっ、そうですね。ウチのマーケティング部と営業部は同じ3階だし、これからも会う機会があるかも知れませんが、古谷先輩、私の事、避けないで下さいね!」
(優しい先輩の事だ。私に気を使って目を合わせないように避けるかも知れない……でも、そんなのは嫌だ…)
彩音が先回りしてそう念を押すと、古谷は少し困ったように笑って言った。
「分かったよ。そうする」
古谷にマーケティング部から営業部へ辞令が出た時の事。ずっと想いを寄せていた1年先輩の古谷に、彩音は昼休憩に呼び出し告白したのだ。
彩音が『 starry sky 』という大手総合商社のマーケティング部に就職し、古谷から研修を受けた事が恋の始まりだった。
研修後も2人は先輩後輩の関係で仲良く、仕事を一緒に組む事も多かった。優しく笑顔が素敵でイケメン。時には厳しく叱られる事もあったが、彩音は古谷を信頼し淡い恋心を寄せていた。
だが突然、古谷に辞令が出た。営業部に異動が決まり、彩音は古谷と離れてしまう事に焦り、最後に自分の気持ちを伝えようと決意したのだ。古谷に恋人や好意を寄せている人がいるのかも分からない。彩音はそれすら怖くて訊けず、辞令がなければ告白などしなかったかも知れない。
離れてしまうと思った時、彩音の中でぎゅっと古谷に対する想いが固まり、離れてしまう怖さより怖いものはないと気づいた。結果は無残にも砕け散った訳だが、それでもずっと抱えていた古谷への想いを伝える事が出来、彩音は後悔していなかった。
それから約1年後。
2月中旬。彩音はマーケティング部のオフィスで、大きなモニターを見つめていた。数日前、社内連絡で『重大発表を行う』とあり、各部署で社員は皆、モニターを見つめその時を待っていた。
水川 彩音、26歳。
大学卒業後『starry sky』のマーケティング部に就職。4年目になる。入社当時、研修担当だった1年先輩の古谷に好意を持ち、1年前に告白したが振られる。その想いは今も胸の奥に秘めたままだが、この1年で古谷が想いを寄せる相手に気づいていた。
しばらくしてモニターに社長が映り、話し始める。挨拶から始まり、社員への労いの言葉や今後さらに発展する為の新たな取り組みなどを話し、社長室の新体制を紹介する。
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