平和の象徴

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 カピバラの生態や画像を検索して盛り上がっているうちに、筑後川に到着した。  花火の打ち上げ会場はJR久留米駅のすぐ近くで、駅周辺は人でごった返している。  壱弥たちはいつも、久留米駅と反対側の河川敷で花火を鑑賞していた。そこは近所の人間だけが訪れる穴場スポットで、あたりには田畑が広がっている。健二の叔父の家がすぐ近くにあるため、そこに車を停めて農道でゆっくりと鑑賞できるのだ。  車を停めたあと、健二、香菜、希穂、美波は近くのコンビニへ買い出しに行った。残った壱弥、樹里、莉子はアウトドアチェアやシートを運び出す係だ。  健二の叔父はキャンプが趣味で、ガレージにはたくさんのアウトドア用品が置いてあった。 「樹里、椅子は俺が持って行くけん。莉子と一緒にシート敷いて、テーブル置いとって」  必死に椅子を運ぼうとしていたので声をかけると、樹里は歯がゆそうに下唇を噛んだ。  昔から腕力がなく運動が苦手だったので、小学校のころはよく同級生にからかわれていた。健二と一緒に、樹里をからかった男子生徒らと取っ組み合いの喧嘩をしたこともある。 「ごめんね、壱弥。男なのに情けなかね」 「男も女も関係ないやろ。得意な奴がやればいいだけやし」 「やっぱり好きやな、壱弥のそういうところ」 「そりゃどうも」  何気なく返事をしたのだが、ほんの一瞬、樹里が気まずそうに目を逸らしたように見えた。 「莉子を手伝ってくるね。椅子は壱弥に任せるけん」  しかし、すぐにいつもの柔らかい笑顔に戻り、樹里は莉子の元へ小走りで向かっていった。  何となく心に引っかかるものを感じていると、周囲に人がいなくなったのを確認してナナシが話しかけてきた。 「ふむう。何となく、空気が変であったのう」 「やっぱり、そう思う?」  あれは、樹里が言いたいことを言えないときの表情だ。子供のころから見てきているので、たとえ一瞬でもはっきりと分かる。 「ヒトの心とは、なかなか複雑じゃのう」  ナナシはそれ以上、何も言わなかった。  十九時四十分。花火大会のはじまりを告げる大きな花が上空に咲いた。  筑後川花火大会の打ち上げ場所は二ヶ所ある。久留米駅西の水天宮下河川敷対岸と、北側の篠山城跡下河川敷対岸だ。それぞれ京町(みやこまち)会場と篠山会場と呼ばれている。  壱弥たちがいるのは、京町会場を正面に見ることができる場所だ。  健二の叔父家族も、すぐ横で手作りの惣菜などをつまみながら鑑賞している。 「やっぱりビールがないとなぁ。壱弥も飲むやろ?」  健二がコンビニの袋から缶ビールを取り出し、横にいる樹里へと手渡した。樹里の誕生日は十二月なので、まだ酒は飲めない。 「はい、壱弥」 「ありがとう」  樹里は、健二から受け取った缶ビールを、壱弥が座っているアウトドアチェアのサイドテーブルに置いた。やはり、特に変わった様子はない。 「主に大麦を発芽させた麦芽を、ビール酵母によりアルコール発酵させて作ったものであるな。ヒトを狂わせる魔力があると聞くぞ。あまり飲みすぎぬようにな、イチヤ」  壱弥の足元に座っているナナシが振り返って言った。  酒は付き合い程度にしか飲まないので、今のところ酔ったことはない。酒豪の姉が泥酔した姿を何度も見てきたので、酒を浴びるように飲む大人に対してあまりいいイメージがないのだ。 「花火って、もともと銃に使っていた火薬を平和利用しようとして作られたものなんやって。うちのじいちゃんが、花火は平和の象徴って言いよった」  健二が言うと、莉子と美波が顔を見合わせて笑った。 「なんかよかね、平和の象徴」 「毎年こうやってみんなで見れるんは、平和な証拠やしね」  色とりどりの大輪の花に、瞬きをするのが惜しくなる。上空に雲はなく、漆黒が花火を一層引き立てていた。  希穂や香菜たちは、花火を撮ったり自撮りをしたり忙しいようだ。時々その撮影会に巻き込まれながら、壱弥は幼馴染たちとの久しぶりの時間を楽しんだ。  仕掛け花火のナイアガラが点火されると、眼前に広がる壮大な火の滝に、あちらこちらから歓声が上がっている。 「また来年も、みんなで来たいなぁ」  クライマックスが近づき、連発で打ちあがる花火を見上げながら、希穂が独り言のように呟いた。  壱弥の足元では、ナナシがじっと花火を見つめている。  この花火大会は、水天宮の社地社殿が寄進された落成祝賀にあたって、水天宮奉納花火として始まったものが起源らしい。  もしかすると、神様も花火が好きなのかもしれない。ナナシの小さな後ろ姿を眺めながら、壱弥はそんなことを考えた。 「ヒトの一生と、同じようじゃのう」  轟音の中で、ナナシの声がはっきりと聞こえた。  それは儚さなのか、美しさなのか。  神様から見れば、人間の一生など、この花火のように瞬く間に消えていくものなのだろう。 「そうだな」  大輪を咲かせては漆黒に溶けていく花火を見つめながら、ナナシにだけ聞こえるように、壱弥は小さく呟いた。
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