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「あ、そうだ! 明日のお昼前、いっちゃんちくるけん」
「なんかあるん?」
「うん、ちょっと、ね。家おるやろ?」
「多分おるよ」
「絶対おって」
「あ、はい」
どことなく有無を言わさぬ物言いが姉と重なり、壱弥は一瞬たじろいでしまう。
女性に口答えしても良いことがない、という教訓は子供のころから染みついているのだが、それは希穂に対しても同じだった。
「よし。じゃあ、また明日ね!」
何の用事があるかそれ以上は聞くことができず、家へ入っていく希穂を黙って見送った。
原付のシートに座ってその様子を眺めていたナナシは、何やら意味ありげな笑みを浮かべている。
「かわいらしい女子じゃのう。イチヤのカノジョではないのか?」
「違うよ」
「そう言えば、大学の後輩と一ヶ月前に別れたばかりであったのう。すまぬ、すまぬ」
言葉とは裏腹に、顔はニヤけたままだ。
自分のことがそこまで“見えて”いたということか。ナナシがどこまで知ったのかは分からないが、本当に神様であるなら全部お見通しなのかもしれないと壱弥は思った。
気を取り直すようにヘルメットを被り、本来の目的である図書館へ向かうことにした。
多智花町は小さな町ではあるが、図書館には力を入れており、町外からの利用者も多い。壱弥のお気に入りの場所でもあり、昔から足しげく通っていた。
「あら、壱弥くん。帰ってきてたのね」
図書館に入ると、カウンターにいる女性が声をかけてきた。壱弥が子供の頃からここに勤めている司書だ。
「木下さん、こんにちは」
「相変わらずイケメンねぇ。オバサンの目の保養になるから、定期的に来てね」
「こっちにいる間は、頻繁に来ると思います」
壱弥のことを、まるで息子のように可愛がってくれているのだが、木下の年齢は知らなかった。おそらく、40代後半ぐらいだろう。隣町に住んでいて、同年代の息子がいると話していた。
「イケメンじゃと。イチヤはモテるのう」
カウンターを離れると、ナナシがニヤニヤしながら話しかけてくる。周りに人がいるので、壱弥は返事をしなかった。
「おお、ここは知の宝庫であるな。心地よい空間じゃのう」
壱弥が無視しても気にすることなく、ナナシは感嘆の声をあげた。宙を飛ばず、小走りでついてきている。
当然だが歩幅は子供のそれなので、壱弥の歩く速さに合わせると自然と小走りになるのだろう。なぜ飛ばないのかは分からないが、壱弥は少しだけゆっくり歩くことにした。
向かう先は、図書館中央にある郷土史のコーナーだ。多智花町に関する本が集められているので、古くからある産土神社について書いてあるものが見つかるかもしれないと思ったのだ。
しかし棚に並んでいるのは、名産である八女茶について書かれているものばかりだった。このコーナーは、おもに町外の人向けに本が選別されているのかもしれない。
他のコーナーもざっと見回ってみたが、産土神社について書いてありそうな本は見つからず、壱弥は一度カウンターまで戻った。
「木下さん、ちょっと調べてほしいんですけど」
「どうしたの、壱弥くん」
「産土神社について書いてありそうな本を探しているんです」
「野辺春の神社のこと?」
「そうです」
「うーん、そんなにピンポイントで書いてある本なんて、あったかしら……」
端末で蔵書検索をしながら、木下の顔がくもる。
神道関係の本には産土神社の記載があるが、各地域ごとの詳細について書かれていそうなものは見つからない。
八女の神社という大きな括りで検索をしても、めぼしいものはヒットしなかった。
「ごめんねぇ、見つからなくて」
「いえ、ありがとうございます」
「でも、どうしてあの神社のことを?」
「近所にあるのに、あんまり詳しく知らなかったなって思って」
実際、祀られている神様の名前も知らなかった。曾祖父からは、自分が産まれた土地の守護神だと教えられていただけだ。
名が与えられて真の神になる、とナナシは言っていたが、今祀られている神様とは別の名前になるのだろうか。
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