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ひとまず、壱弥は神道の本を三冊借りることにした。ナナシのことが分かるとは思えないが、まずは基本を学ぼうと考えたのだ。
帰宅して昼食を済ませた後、自室で借りてきた本を開いた。「神道への誘い」というタイトルのものだ。
その中に、産土神について書かれた一節があった。
産土神とは生まれた土地の守護神のことで、その者が生まれる前から死んだ後まで守護するとされている。
しばしば氏神と混同されるが、氏神はもともと氏名、つまり血縁関係のある一族の祖先神あるいは守護神のことを指す。中世以降、氏神の周辺に住み、その祭礼に参加する者全体を氏子と称するようになり、氏神と産土神は区別されなくなった。
産土神についての記載はその程度で、あとは良く知られている天照大神や伊弉諾尊のことなどが書いてあるだけだ。
当然、多智花町の産土神については何も分からない。
壱弥は、隣で他の本を開いているナナシに声をかけた。
「ナナシが言う“神”って、産土神のことだよな」
「そうじゃな」
「産土神は一生変わらないと思ってたんだけど、今いる神様とナナシは別なのか?」
「同じと言えば同じ、別と言えば別かもしれんのう」
ナナシは読んでいた本を閉じ、壱弥と向き合って座った。
「神とて不変のものではないのじゃ。森羅万象すべてに宿るものだからの」
「自然が移りゆくから、神様も変わるってこと?」
「ほう、イチヤはなかなか聡いようじゃ」
「神は万物に宿り、万物は流転する……ってことか。だから神様もずっと同じ神様じゃなくて、アップデートされる、みたいな?」
「お主、商学部ではなく宗教学や民俗学を専攻した方がよいのではないか?」
「茶化すなよ」
「知りたいのであれば、自分でいろいろと調べてみるがよい。おのずと見えてくるものもあろう。それに、我にも知らぬことはあるのじゃ。たとえば、なぜお主にだけ我が見えるのか」
壱弥は、そのことが一番腑に落ちていなかった。
仮にナナシが本物の神様だとしても、何故自分にだけ見えるのか。特に霊感が強いわけでもなく、自分には何ひとつ特殊な能力などない。多智花町の産土神について調べていけば、その理由が分かるのだろうか。
気が付けば、もう夕方になっていた。
一息入れようと部屋を出ると、ちょうど宅配が届いた。冷凍の物だったのでそのまま台所へ持って行き、晩御飯のメニューを母に確認して、再び部屋へ戻る。
その間、ナナシは大人しく本を読んでいたようだ。
「それにしても、お主は肝が据わっておるのう」
本へ視線を落としたまま、ナナシが言った。
「ヒトとは、己の想像を超える存在や力を目の当たりにすると、それを畏怖するものじゃ。この書物からも、それが感じられる。しかしお主は、畏怖するどころか受け入れておる」
「まぁ、見た目がそれだからってのもあるけど。なんとなく、親しみを感じるというか」
「我も、お主とは浅からぬ縁を感ずるぞ。故に、童のような扱いも特別に許そう」
弟のような感覚でナナシに接していたことに、今更気がついた。だが、ナナシが神様だとしても、今の接し方がしっくりくるような気もする。
「ところで、これはなんじゃ」
壱弥がテーブルに置いた、皿に盛られたものを凝視して、ナナシが訊ねた。
「あまおうジェラート」
「もしや、先ほど届いておったオチュウゲンか?」
「うん」
器に取り分けて食べるホームサイズのボックス型なので、母がいる台所で二つの皿に盛るわけにはいかなかった。自分の皿にナナシ用の皿を重ねてこっそり持ってきたのだ。
「“じぇらあと”は、果肉や牛乳などを混ぜた物を凍らせて作る氷菓であるな。そして“あまおう”とは福岡県が誇る、あかい・まるい・おおきい・うまい苺のことじゃな」
壱弥がナナシ用にジェラートを取り分けると、ナナシの瞳がきらきらと輝いた。
そしてジェラートを一口含み、足をじたばたさせている。その様子は、明らかに子供だった。
「おお、おお、これもまた美味じゃのう! オチュウゲンとはなんとよき習慣か。イチヤ、これも毎年我の元に届け」
「溶けるから無理」
「お主、少しは我を敬わぬか!」
「これは、そういう問題じゃないだろ」
自分の分もナナシの皿へ分けながら、壱弥は苦笑した。
今日は朝からいろいろなことがあったが、不思議と疲労は感じない。
いつもとは違う夏休みの始まりに、壱弥は少しだけ気分が高揚しているのを感じた。
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