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我は名無しである
子供の頃から、“神様”という存在は壱弥にとって身近なものだった。曾祖父が近くの産土神社に参拝することを日課としていて、いつも一緒について行っていたからだ。
「神様はわしらの目には見えんばってん、わしらのことをいつも見ておらっしゃるとぞ」
それが、曾祖父の口癖。
誰も見ていないと思っても、神様が必ず見ている。それならば常に良い子でいなくては、と子供ながらに思った。
神様に顔向けできないような行いは、決してしない。この行動理念は、大人になった今でも変わっていない。
「我は、神であるぞ」
どう言葉を返すのが適切なのか、壱弥はしばらく考えを巡らせた。
早朝六時前。日課のジョギングをしている途中で、いつものように産土神社へ参拝しようとしたところ、この奇妙な子供が境内に佇んでいたのだ。
プラチナブロンドの髪に深い緑の瞳という外見が、この田舎町にまったく不釣り合いではあるが、神様だと言われて納得するような要素はひとつもない。
歳は五、六歳ぐらいだろうか。こんな時間に、子供が一人でいること自体が不自然だ。しかし今は真夏で、周囲は既に明るい。早起きして家族や友達と遊んでいるということも、十分に考えられる。
「ごめん。お兄ちゃん、最近の子の遊びはよく分からなくて。それ、なんていう漫画の遊び?」
精一杯考えた上での返しだった。
「む。お主、我が神だと信じておらぬな? よかろう。我の力を見せてやろうぞ」
そう言って子供が壱弥に向けて右手をかざし、目を閉じた。ほんの一瞬、その掌が淡い光を放ったように見える。
「ふーむ。名はカツキイチヤか。五月二十七日生まれ、現在二十歳でO型。東京の国立大学に在籍中か。この八女市多智花町で茶農家を営む香月家の長男として生まれ、六歳上の姉と三歳下の弟がおるのじゃな」
壱弥が目を丸くすると、子供は得意満面の表情を浮かべた。
しかし、狭い町なのだ。そのぐらいの情報は知っていてもおかしくはない。
「……どうやら、まだ信じておらぬようじゃな。では、もっとお主のことを見てやろう」
壱弥の怪訝な表情を見て、子供は不満げに口をとがらせながら再び右手をかざす。今度ははっきりと、掌が発光していた。
「六歳のときにラグビーをはじめたのじゃな。ほほぉ、高校では全国大会で準決勝まで勝ち進んだのであるか。爽やかイケメンの快速ウイングとして話題になり、熱狂的ファンまでついたようじゃのう」
壱弥は、子供の掌をじっと見つめた。おもちゃなどを隠し持っている様子はない。本当に掌から光が出ている。
そして子供の身体が、ほんのわずかだが宙に浮いていることにも気が付いた。
「ほう、初めて彼女が出来たのは中二の秋か。相手は隣のクラスの女子であるな。なるほど、委員会で話すようになって惚れられたか。なかなか隅に置けぬのう。もっとさかのぼると……幼稚園の時は、クラスで一番の美女であるマツリちゃんに恋文を送っておるな。だが自分の名前を書き忘れたのか。それを言い出せずにいたとは……あまずっぱいのう」
「ちょっと待て、なんでそれを……」
幼稚園でのことは、誰にも話していないはずだ。しかし自分が気が付いていないだけで、もしかすると母親などには知られていたのかもしれない。そうだとしても、何故この子供が知っているのか。
整理しきれないことが一度に起きて、壱弥の頭は混乱していた。
「どうじゃ。我が神だと信用したか?」
「いや、どうじゃと言われても……」
「おお、いっちゃんやないか」
神社の階段を登ってきた中年の男が声をかけてきた。
「あ、坂本のおいちゃん」
「そうかぁ、学生は夏休みたいね。いつ帰ってきたとね?」
「昨日の夕方だよ」
「そいで、こげん朝はようから走っとらすとね。さすがやねぇ」
「あぁ、うん。ジョギングは日課やけん」
「いつもここに参拝しとるし、若いのにえらかなぁ」
子供を間に挟んで会話をしているが、坂本に子供のことを気にしている素振りはない。小さくて見えていないのだろうか。
「それより、おいちゃん。こん子、知っとうね?」
「こん子?」
「ここ、おるやん」
「どこね?」
「俺の目の前に……」
言いながらも、壱弥の頭には不安がよぎっていた。 まさか、見えていないということが本当にあるのか。
坂本は自分と壱弥の間を凝視して、首を傾げた。
「いっちゃん、寝ぼけとるっちゃないとね? 誰もおらんばい」
冗談を言っている様子はない。はっきりと子供の姿が見えているのは、自分だけなのだ。背中がぞくりとした。
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