今日から僕は君のもの 〜眼鏡令嬢と拗らせ騎士の初恋〜

2/7
前へ
/7ページ
次へ
「あーーー、それは拗らせる訳だ」  紙とインクの匂い、埃の匂い。西日が差し込むこの時間、図書館を利用する人は少ない。  私はワゴンを押し返却され確認の終えた本を一冊ずつ棚に戻していく。隣で本の背表紙を確認し手に取りながら、チャーリーがくつくつと淑女らしからぬ笑い声をあげた。   「拗らせるって何」 「言葉の通りだよ」  ワゴンを押しその場を離れると、チャーリーがステッキを弄びニヤニヤしながら付いて来る。 「で、その後彼はどうしたの」 「さあ?それから一度も会ってないから」 「学園卒業後は?」 「知らないのよ。友人のいない私が知る由もないでしょう」 「拗らせてるねぇ」 「拗らせてません」 「で?拗らせちゃったアデライーデはそのまま学園に行くのもやめて家に引き籠りデビュタントにも出ず、伯爵令嬢なのに司書の資格を取って図書館で働く職業婦人になったわけだ」 「腹の立つ言い方なんですけど」 「事実でしょう」 「好きで司書になったのよ。そんな言い方やめて」  ワゴンを押しながら、ため息をつく。  誕生日祝賀会の後、喘息の発作が続き苦しんだ私は、結局学園に入学はせず、そのまま自宅で家庭教師に勉強を教わった。  けれど、このまま家にいるだけのつまらない人生を送るのは嫌だと思った私は、家庭教師にお願いして司書の資格を取り、好きな仕事をして生きていく道を選んだ。  もちろん両親は大号泣、猛反対していたけれど、同じ家庭教師に教わり知り合った公爵家令嬢のチャーリーが、王城の司書ならば安全だと私の両親を説得してくれたお陰で、私は領地を出て王立図書館の司書となった。今は王城にある宿舎で暮らしている。 「分かったでしょ、私だって恋はしたことあるのよ」 「それはよく分かったけど。でもその後は何もないんだろう?」 「……素敵な人がいないだけよ」 「それを拗らせてるって言うんだよ」  そう言うとチャーリーはまたくつくつと笑った。 「ねえ、アデライーデ。やっぱり君、参加するべきだよ」 「……何の話?」 「知らない?この王城の騎士や侍女たちの為に夜会が開かれるんだよ」  チャーリーは一通の封筒を取り出した。 「知ってるわ。公爵家(あなたの家)が主催の夜会ね」 「出ないつもり?」 「出ると思ったの?」 「思ってない」  チャーリーはワゴンの前に立ち塞がり手で押さえた。ムッと眉根を寄せて睨んでも、私の分厚いレンズの眼鏡では伝わらない。 「私に恩を返すなら、これでお願いしたいんだ」 「チャーリー!今それを言うの?」 「伯爵家の令嬢を王城の司書に推薦したのは他でもない私だよ」 「それなら私は公爵家の令嬢と縁を取り持ってくれた家庭教師に感謝しなければいけないわね」 「そうだね。君と同じ家庭教師に教わったことを幸運に思うよ」  チャーリーは氷のような瞳を細めて私を見つめる。この人は本当に美しい顔をしている。 「パートナーになってよ」 「嫌よ」 「どうして?」 「他の人に頼んでよ、私は絶対嫌よ」 「ドレスは私が用意するからさ」 「そういう問題じゃないわ」 「頼むよ、アデライーデ」  チャーリーが困ったように眉を寄せて懇願する。 「ね、この姿で参加したいんだよ。初めてこの姿で参加してもいいって言われたんだ」 「……公爵夫人が許したの?」 「そうだよ。この機会を逃したくない」  その言葉に思わずグッと唇を嚙んだ。  チャーリーは男装の令嬢だ。  ドレスを嫌い、普段からジャケットやフロックコート、トラウザーズを好んで履いているけれど、夜会など社交の場ではドレスを着用するよう言われ、大人しく従っている。  公爵家令嬢である以上、私のように社交を放棄することができないチャーリーは、自分らしく振る舞えないその窮屈さをずっと嫌悪していた。  その辛さをそばで見てきた私にも、これがいい機会であるのはよく分かる。 「……分かった。分かったわ」  私は両手を上げてため息をついた。 「その代わり、私のことは放っておいてね。見事な壁の花になってみせるから」 「それはどうかな?放っておかない奴がいるよ、絶対」 「そんな訳ないでしょ!」  はははっ、と笑い声を上げてチャーリーは私をギュッと抱き締めた。 「ありがとう、アデライーデ」 「…いいのよ」  らしくなく、くぐもった声で礼を述べる唯一の友人の手助けになるのなら、笑い者になるのなんて大したことではない。  十八歳で領地を出て三年。私は二十一歳になった。  初めの頃はしょっちゅうお見合いの話を持ってきた両親も、私が喘息の発作も起こさず伸び伸びと仕事をしていることを認め、やがて何も言わなくなった。今は弟の成人に向け、あれこれと準備に追われている。  初めは戸惑った一人暮らしも慣れれば快適なものだ。  司書の制服を身に纏い、髪も高い位置で一つに纏めるだけの支度に侍女の手伝いなど不要だ。  王城の女性専用の宿舎に入居し防犯も万全。特に読書以外趣味のない私は、休みの日も殆ど部屋や図書館で過ごす。  たまにチャーリーや同僚達に連れ出されて一緒に王都のカフェやレストランへ行くことだってある。  そんなささやかな日々は私にとって尊くかけがえのない人生。領地に引きこもっている頃よりもずっと自由で楽にいられる。何も不満はない。    ***  仕事を終え、夜勤の同僚と交代して図書館を出る。  王城の敷地内にある図書館と宿舎を往復するだけの毎日だけれど、今日は王城内の食堂で予約したお弁当で夕飯を済ませることにしていた。  メニュー版の立てられている入り口を通り抜け、開放的な厨房に立つ料理人に声を掛ける。  この時間、食堂は勤務の終わった騎士や侍女で混み合っていて、殆どの人が食堂で食事をしていく中、私は朝のうちに予約したお弁当を受け取りに来た。ちなみに支払いも済ませている。  持って帰って部屋で食事をしたいからだ。 「お疲れ様、アデライーデ!」 「忙しい時間にごめんなさい」 「いいんだよ、用意できてるから少し待っててくれ」  食堂の料理人は大きなお腹を揺らし笑った。  側には少年のような年若い騎士見習が何人か、これから開催される夜会の話で盛り上がっている。恐らく誰をパートナーにするかで盛り上がっているのだろう。  壁際に避けて待っていると料理人にすぐにお弁当を手渡され、お礼を言いその場を立ち去ろうと踵を返した、その時。 「危ない!!」  誰かの声が響くのと、私の身体が床に倒れ込むのはほぼ同時だった。  大きな音を立て、今受け取ったばかりのお弁当の入ったバスケットがひっくり返る。突然後ろから押された私は前に倒れ込んだ。 「アデライーデ!」 「お前たち何をしてるんだ!」  誰かが私の名前を叫んだけれど、身体を強かに打ち付けて確認どころではない。痛いし、私のお弁当…! 「大丈夫か、アデライーデ!」  料理人が駆け寄り、私の身体を起こしてくれた。 「…っ、だ、だいじょう…ぶ、」 「すっ、すみません!大丈夫ですか!?」 「周りをよく見ろ、馬鹿!」  年若い少年のような声が私にひたすら謝っている。先程の騎士見習の少年だろう。誰かが私の代わりに彼らに怒鳴っているのが聞こえるが、それどころではない。  ……何も見えない。 「す、すみません…、眼鏡を…」  呼吸が落ち着き、慌てて手探りで周囲を探したが、どこにあるのかさっぱり分からない。騎士見習の少年たちも一緒になって探してくれた。 「あ、あった!」  離れた場所から声が上がる。誰かが持ってきてくれて確認すると、あの分厚いレンズがひび割れている。指でなぞると、パキッと乾いた音を立てレンズが床に落ちた。 「…どうしよう」  これがなければ何も見えない。  部屋に戻ることも仕事もできないのだ。 「すっ、すみません、弁償します、俺が…っ、…あ、の…」  騎士見習いが跪き私に声を掛けたけれど、何故かそのまま黙ってしまった。どんな顔で見られているのか分からないから、何か話してくれないと困る。 「大丈夫です。明日は休みなので自分で眼鏡屋へ行ってきますわ」 「そ、それなら、俺がいっしょ…」 「立て」  その時頭上から低い声が掛けられた。  見習い騎士が慌てて立ち上がる。視界の端に濃紺の色がぼんやりと広がり、それが騎士のものであると分かった。 「ふっ、副隊長…!」 「いつまでも床に座らせているものではない。…大丈夫ですか」 「あ、はい。大丈夫です」 「……触れることをお許しください」 「え?」 「失礼」  そう言うとその騎士は私の手を取り立ち上がらせてくれた。 「どこか痛む場所は」 「い、いいえ、大丈夫です。ご親切にありがとう」 「宿舎まで送りましょう」 「え、いえそれは…」 「彼女の食事が駄目になってしまった。すぐに何か詰められるか」 「えっ、ええ、お待ちを!」  料理人が慌てて走り去って行く気配を感じる。周囲が静かな気がしたけれど、よく分からない。 「暫くかかるかもしれません。あちらの席で座って待ちましょう」 「あ、はい」  騎士が私の手を取り近くの席に誘導してくれた。多くの視線を感じる気がしたけれど、ぼんやりした塊にしか見えないからやっぱりよく分からない。きっと、分からない方がいいのだと思う。  騎士は有無を言わさず私を席に座らせると、向いに腰掛けた。 「…あの、ありがとうございます」 「……いえ、彼等が失礼しました」 「よく見ていなかった私も悪いのです」 「彼等には私からきつく注意しておきます」 「そんなこと…きっともう十分反省していると思いますから…」 「……それに……他にも注意せねば…」 「え?」 「眼鏡がなければ困るのでは?」  よく聞こえず聞き返したけれど、何となく話を逸らされた気がする。こういう時、人の顔色が分からないのは本当に困る。 「…ええ。お恥ずかしいのですけど、何も見えなくて…」 「……替えの眼鏡はありますか?」 「いいえ。明日、お店に行って作ってもらいますわ。同じものがあるか分からないけれど…」 「店までご一緒しましょう」 「え?」  思わず目の前の騎士をじっと見つめる。全然顔が分からないけど。ふと顔を逸らされた気がした。 「騎士様、大丈夫です。友人に頼んで一緒に来てもらいますから」 「……友人と言うと、貴女とよく図書館で話している…」 「ええ、よくご存知ですわね」 「…っ、何度か…見かけたことがあったので…」 「まあ。騎士の方でも本を読まれるのですね」 「脳筋ばかりではありませんよ」 「ふふっ、そんな人ばかりだと思っていました」  思わずクスクスと笑ってしまう。  失礼なことを言ったのに腹を立てた様子もなく、低い声で話すこの騎士に何となく安心した。彼も少し笑っている…気がする。 「お待たせ、アデライーデ!」  そこに新しいお弁当を持った料理人が慌ててやって来た。何だかサービスでデザートまでついている。丁寧にお礼を述べると料理人が何かを言おうとしたけれど、騎士が私の手からバスケットを取りさっさとその場を離れてしまった。  王城の回廊を騎士に手を取られゆっくりと歩く。眼鏡がない私に合わせてくれているのだろう。  陽が傾き回廊をオレンジ色に染め上げる。柔らかい風が心地よく吹き抜け、すれ違う何人かに会釈をしながら、ふとこの人の名前を聞いていないことに気が付いた。  宿舎の前に辿り着き、腕を解くと騎士と向かい合い改めて礼を述べる。 「騎士様、ご親切にありがとうございます。本当に助かりましたわ。…あの、私はアデライーデ・グレアムと申します。騎士様のお名前をお聞きしてもよろしいですか?」 「……っ、私は…」  彼の雰囲気が強張った気がした。簡単に名乗れない名前なのだろうか。名乗れない名前って何かしら…?  その人はごくりと喉を鳴らすと、意を決したように私に優しく話し掛けた。 「……分かりませんか。……アディ」  ―――それは、ふいに蘇る感覚。  胸の奥が重く、でも私の心を切なく震わせるその呼び名。  私は思わず一歩後ろに下がった。彼の顔を見上げる。  記憶よりも高い背、広い肩幅、低い声。  ぼんやりとしか認識できないけれど、その黒に近いダークブラウンの髪がさらりと風に揺れ、仄暗い蒼の色が見える。 「…ルートガー……?」  ―――会いたくない。  どうしても会いたくない。この変わらない姿を見せたくない。  そう思っていた彼が今、目の前にいる。 「…ごめん、全く気が付いていないものだから…このまま、分からない方がいいかと…」  そう言うルートガーが今、どんな顔をしているのか分からない。私も今、一体どんな顔をしているのだろうか。胸がドクドクと凄い音を立てている。指先が痺れる気がした。  王城で騎士をしているなんて全然知らなかった。  でもルートガーはさっき、私を図書館で見た事があると話していなかった? 「……知っていたの?私がここにいると…」 「…うん」 「……いつから…?」 「……三年前、から」  つまり、私が王城で働き出した頃から知っていた訳だ。知っていて、声を掛けなかったのだろう。 「……そう、知らなかったわ。司書と騎士では会う機会もないものね」 「…アデライーデ」 「ありがとう、ルートガー。送って頂いて助かったわ」  ごきげんよう、と一言述べるとルートガーの手からバスケットを奪い取り、私は宿舎に逃げ込んだ。  彼がもう一度、私の名前を呼んだ気がした。  どうやって部屋に辿り着いたのか分からない。気が付けば部屋は薄暗く、窓の外は暗くなっている。私はソファに腰掛けたまま、ぼんやりしていた。  ノロノロと立ち上がり明かりを灯して、バスケットからすっかり冷めてしまった料理を取り出す。  もそもそと料理を口に運びながら、ルートガーのことを考えていた。てっきり子爵家を継ぎ、領地で結婚しているのだと思っていた。誰にも確認したことはないけれど、そういうものだと思っていたのだ。  それが、わざわざ王都に出てきて騎士になっているなんて。  領地やルートガーのことを考えると、どうしてもあの十六歳の誕生日を思い出してしまう。  結局誰とも友達になれなかったあの日。  初恋が無残に散ったあの日。  みじめで悲しかったあの日。  一人で、ベッドで泣いたあの日。  チャーリーの言う通り、私は相当拗らせている。  一人で食べる料理の味は、今日はよく分からなかった。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

190人が本棚に入れています
本棚に追加