今日から僕は君のもの 〜眼鏡令嬢と拗らせ騎士の初恋〜

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「これは素晴らしいスフェーンだな」  チャーリーが宝石をマジマジと見つめ感嘆の声を上げた。 「スフェーン?」 「珍しい宝石だよ。ダイヤよりも光の分散度が高くて角度や光によって様々な色の輝きを放つんだ。それにこの大きさでインクルージョンがないなんて、私は見たことがないな。見事なものだ」 「何を言っているのかよく分からないわ」 「アデライーデの瞳を探したんだろう」  チャーリーの言葉にグッと詰まる。 「そっくりだよ。濃い緑に赤やオレンジが煌めいて複雑な輝きを放っている。しかもこの宝石は硬くてね、加工が難しいんだよ」 「そ、そうなの…?」 「調えるのに何ヶ月もかかる。相当前から準備していたんだな」 「そんな…」  私は胸元で輝くネックレスを見つめた。確かに私の瞳の色は変わっている。緑色だけれど虹彩が赤やオレンジ、茶色など複雑に滲んでいるのだ。 「私の瞳なんて見えないのに」 「…それがいいんだろうな」 「どう言う意味?」  訪ねてもチャーリーはニッコリと笑うだけで何も答えない。 「きっとアデライーデのデビュタントのために前々から用意してたんだろう」 「どうして…」 「それは踊った時に本人に聞けばいい」 「でも」 「いいかい、アデライーデ。見たこと全てがそのままの意味を持つとは限らないよ。実際、ずっと悩んでいるだろう」 「……」 「彼の言葉を信じるか、見たことを信じるか。確かめるためにも今日を乗り越えないとね」  チャーリーはそう言うと、私のこめかみに一つ口付けを落とした。 「さあ行こうか、アデライーデ。私たちの姿を見せつけてやろう」  そう言ってチャーリーは私の手を取り、煌びやかな会場への扉を開いた。    ***  大きなホールではすでに紳士淑女がくるくると踊っている。  煌びやかなシャンデリアがキラキラと光を放ち、楽団が華やかな音楽を奏で、普段はお仕着せに身を包む侍女や文官たちも思い思いのドレスやスーツを身に纏い、騎士達は正装姿で淑女たちと踊っている。  名前を呼ばれて入場した時のチャーリーへの視線はすごかった。初めてこの姿で社交の場に登場したのだ。美しい顔の紳士が、かの公爵家令嬢であると誰もが疑い驚いたのだ。  多分。全然見えないので分からないけれど。 「ほら、アデライーデ。あっちにおいしそうなワインがある」 「見えないのよチャーリー、手を離さないで」 「片眼鏡を掲げるといいよ」 「簡単に言わないで!」  今日の私は眼鏡がない。チャーリーがドレスに会わないからと眼鏡を掛けるのを禁じたのだ。その代わり、オペラグラスのように持ち手のついた片眼鏡を用意してくれた。  繊細な装飾の施された金色に縁どられた片眼鏡は、必要な時に掲げて使う。確かにこれなら、グルグルと渦巻いた瓶底のような眼鏡を掛け続ける必要もないし、見たくないものを見ずに済む利点がある。ものすごく目が疲れるけれど。 「アデライーデ、私はそろそろ社交をしなければいけない。この姿で現れた私に、今まですり寄って来ていた子息たちがどのような対応をするのか見ものだね」 「え、私はパートナーでしょう?一緒に行かなくていいの?」 「君にそこまで強要するつもりはないから大丈夫。大体、社交なんてできないだろう」 「ちょっと待って、それじゃあ私を連れて来た意味は何?」 「入場の際に一人でいるよりいいじゃないか」 「それだけ!?」 「まあ、君も約束があるだろう?頑張りなよ」  また後でね、とウィンクしてみせると、チャーリーは人混みに消えていった。 「グレアム嬢」  一人になって途方に暮れることもなく、開き直った私はワインを貰おうとソムリエのいるテーブルに足を向けると、背後から聞きなれない声に呼び止められた。  振り返り声のした方へ片眼鏡を掲げると、仕立てのいいジャケットにクラバットを絞めた年若い青年が立っていた。誰だろう。眼鏡で確認しても覚えがない。  青年はすっと頭を下げた。 「あの、先日は…貴女の眼鏡を壊してしまい大変申し訳ありませんでした」 「まあ、ごめんなさい、あの時の…隊服ではないから分かりませんでしたわ」 「僕は見習いなので、こういう時はジャケットなんです」 「ふふ、その姿もお似合いですよ」  そう言うと青年は頬を染め、ぐっと喉を鳴らした。 「あの、グレアム嬢、よかったら僕に」 「悪いが先約がある。他を当たれ」  そこへ私の目の前に大きな背中が立ち塞がった。  真っ白なマントを片側に掛け、濃紺の制服に金の肩章。マントを留める装飾ベルトがキラリと明かりを反射した。 「副隊長!あの」 「私の知り合いだ」 「すすす、すみません…っ!!」  大きな身体で視界が塞がり見えないけれど、青年は慌てて立ち去ったようだ。目の前の人物がゆっくりと振り返り、私はその顔を見上げた。 「ルートガー」 「アデライーデ、探したよ」  ふわりと笑うその顔に、私は懐かしさがこみ上げる。騎士団の副隊長ということもあって、私以外と話す時のルートガーは口調が違う。でもそこから、私に対して口調が柔らかく戻るのがなんだかおかしかった。 「一人でいるとは思わなかった。相手は…?」 「チャーリーなら社交をしてくるってあっちに…」 「君を置いて?」 「そこまでは強要しないって」 「そうか…なら、僕と一緒にいても問題ない?」 「え?」 「アデライーデ」  ルートガーは胸に手を当て恭しく腰を曲げると、スッと手を差し出した。 「私にあなたと踊る名誉をいただけませんか」  その美しい所作と笑顔に、私の周囲で悲鳴が上がった。 「上手だよ、アデライーデ」 「ま、待ってルートガー、私慣れてなくて…」 「大丈夫だよ。いつ練習したの?」  ルートガーが頭上で楽しそうに話し掛けてくるけれど、私はそれどころではない。必死に音楽に合わせて足を運ぶので精一杯なのだ。そんな私をルートガーは優しくリードしてくれる。  きっとすごく上手なのだろう。比べる相手がいないから分からないけれど。 「家庭教師に…っ、体力を付けるのにもいいからって…」 「…夜会ではよく踊った?」 「や、夜会は初めてなのよ」 「え?初めて?」  ルートガーの声が一音高くなった。思わず笑ってしまう。 「ふふっ、そうなのよ、伯爵令嬢なのにね」 「じゃあ…アイツとは…」 「アイツ?」 「…チャーリー・バーグース」 「チャーリー?そうね、一緒に練習をしたことはあるけど…」 「君を夜会に連れて来たことはないの?」 「だって私出たくないもの」 「そ、そうか」 「ふふっ、ね、踊るのって楽しいわね、ルー」 「!」  くるくる、くるくる。  ステップに会わせて足を運びクルリと回ると、ふわふわと空を舞うような浮遊感が心地いい。私を支えてくれる大きな手に、こんなにも安心できるなんて。 「段々慣れて来たわ」 「うん、上手だよアディ」 「本当?お屋敷で練習した甲斐があったわ…デビュタントでルーと踊ると思って…」  そこまで口にしてはっと身体が固くなった。  しまった、楽しくなってつい口走ってしまったわ。 「…アディ、今の本当?」  ルートガーが声を掛けてくるのを何と答えたらいいのか分からない。こうして向かい合って踊っていては逃げ場がないのだ。 「ご、ごめんなさい、変なこと…」 「僕と踊ろうと思ってた?」 「ルー、私…」 「僕が…僕のせいで台無しにした?」  楽団の音楽が終わりに向かう。もう少しでこの時間が終わる。 「ルー、あの…昔のことだから」 「アディ」 「私、私あなたに酷いこと言ったわ…ごめんなさい」 「アディ、僕が悪かったんだ、君に…」 「あなたは悪くない。私が子供だっただけよ。…ちゃんと聞きもしないで逃げ出してしまった。でもそれだって仕方のない事だった」 「アディ待って、聞いて。…今なら聞いてくれる?」  音楽が終わる。  私はルートガーから身体を離し、お互い向かい合って礼をした。 「…聞くわ」  ルートガーの蒼灰色の瞳を見て私はそう答えたんだけれど。  その声はルートガーに届かなかった。 「ルートガー様!!次は私と!」 「エジャートン卿!!」 「私もぜひ!」  踊り終えた私たちの間に割って入るように、多くの令嬢たちが殺到した。私はあっという間に人込みに押し出されルートガーを見失う。見えないのだ。 「アディ!」  ルートガーの声がしたけれどそれももうよく分からない。周囲が見えなくて恐怖を覚えた。人混みから抜け出そうと人をかき分けなんとか人の切れた場所へ移動する。壁際まで移動して、やっと隠しポケットから片眼鏡を取り出した。  ホールを見ると人だかりができてなんだかわけが分からない。 「アデライーデ!」  腕を掴まれ振り返るとチャーリーが青い顔で立っていた。 「チャーリー」 「大丈夫か?」 「ええ、驚いたけれど大丈夫よ。人混みに押し出されただけだから」 「わざとだよ。君とエジャートン卿があまりに楽しそうに踊っているから…なんて品がないんだ」 「わざと?ルートガーって本当に人気なのね」 「アデライーデ、君ね…もう少し怒ってもいいんじゃないかな」  チャーリーは眉根を寄せ不快さを滲ませる。でも私は、なんだかすっきりした気持ちでいた。 「いいのよチャーリー。ルートガーと話せてよかったわ。彼が昔から変わりないことが分かったから」 「まだ話は済んでいないんだろう?」 「…いいのよ…っ、ケホッ」 「!アデライーデ」 「大丈夫…っ、ケホッ」 「こっちへ。少し休もう」  チャーリーに手を取られ、私はホールから離れた場所にある休憩室へ移動した。 「ほら、果実水だよ」 「…ケホッ、…ありがとう…」  チャーリーからグラスを受け取り喉を潤す。 「少し休んだら今日はもう帰るわね」 「じゃあ私も一緒に」 「大丈夫よ。チャーリーはまだいなければいけないんでしょう」 「君を一人に出来ないよ」 「チャーリー、今日はあなたの念願が叶った日なのよ。行って。私は落ち着いたら馬車で帰るから」 「アデライーデ」  チャーリーはギュッと私を抱き締めると背中を撫でた。 「すまない。無理をさせてしまった」 「いいえ。ありがとうチャーリー」  鍵は必ずかける様に何度も私に注意をすると、チャーリーはホールへと戻って行った。  遠くから音楽が聞こえてくる。  私はベッドに横になると目を瞑った。どうやら緊張していたようで、すぐに身体が重く沈んでいくように眠りに落ちた。
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