(一)エデン

1/1
前へ
/28ページ
次へ

(一)エデン

 生まれたばかりの赤ん坊が、薄汚れた白いベビー服に包まれ、昼下がりの海辺に放置即ち捨てられていた。赤ん坊は波打ち際近くに置かれ、今しも波にさらわれるかの如しであった。  時は西暦二〇〇〇年春、場所は兵庫県神戸市の外れ。貿易と観光と恋人たちで賑わうポートアイランド地区より、二十キロメートル程西に離れた舞子公園、俗に『鬼が浜』と呼ばれる寂れた海岸であり、普段は殆ど訪れる者もいない。  鬼が浜の静けさと、それとは対照的な神戸港の賑わいとを見下ろすかのように、陸地には六甲山脈の峰々が連なり、競うように聳え立っている。その中に幾多の屹立した崖がその頂上への到達を阻む、それは険しい摩耶山という山があった。  この山について地元では、昔まだ日本に狼が棲息していた時代、狼のメッカであったという言い伝えが残されており、地元の人々は『狼山』と呼んでいた。現在は、野生化した獰猛な犬即ち山犬たちの棲み処と化していると専らの噂で、山の険しい地形と相俟って、近年人が足を踏み入れたことのない秘境となっている。言わば太古から狼によって守られた聖地、霊山であった。  話を鬼が浜の捨て子に戻すと、赤ん坊はまだ自らの置かれた危うい境遇に気付くこともなく、浜の潮騒を子守唄にすやすやと眠りを貪っていた。勿論自分が捨てられたなどとは、夢にも思うまい。海岸に人の影はなく、従ってまだ赤ん坊の存在に気付く者は誰もいなかった。ただ時だけが音もなく、赤ん坊の前を駆け抜けてゆくばかり。  時刻は日暮れから夜へ、夜から深夜へと流れた。いつしか空はどんよりと曇り、海岸一帯はまっ暗。流石の赤ん坊もいい加減目を覚まし、遂にはオギャー、オギャーと泣き出した。しかし時既に遅し。辺りは砂漠の如き深き静寂に支配され、人の訪れる気配など最早なかった。  仕舞いには泣きくたびれ、今度は飢えと孤独と、春とはいえ夜更けは冷える、従って寒さとに、赤ん坊は震え出した。赤ん坊が死に至るのは、最早時間の問題であった。  ところがそこへ、突如何者かが現れた。夜の闇に紛れながらそのひとつの黒い影は、何処からともなく赤ん坊の前に姿を現したのである。荒々しい息遣い、そして四つ足であった。ならば人間ではない。では一体何者か、例えば犬。  その生き物はどっしりとした良い体格をしており、犬ならば余程大きい犬ということになるが、首輪はしていない。ならば近所の飼い犬が逃げ出して来たとは考え難く、加えてこの界隈に野良犬などいなかった。では山犬か。何処かの山の飢えた野犬が赤ん坊の匂いを嗅ぎ付け、遥々ここまで下山して来たというのであろうか。  その時曇った空の雲の切れ間から一瞬月光が射して、その黒い影の正体を暗闇の中に照らし出した。闇を引き裂く鋭い眼光、鬼すらも噛み殺すが如き尖った牙、そしてほとばしる野性の臭気。それでいて物質文明に染まることのない気品と気高さとを、見事なまでに具えていた。その生き物の正体は、犬ではなかった。それは一匹の、狼であった。  狼。二十一世紀の日本に狼が存在するなど不思議な話である。なぜならば、記録的には明治時代にニホンオオカミが捕獲されたのを最後に、以後絶滅したのではないかとする説が有力だからである。しかし今ここに登場したるは、紛れもなく立派な狼であった。  ではこの狼、いずこより現れたのか。何を隠そう、狼山からである。実は狼たちは人が近付かない秘境の地、狼山にて、今もなお化石の如く細々と生き続けていたのであった。彼らは狼山の頂きで群れをなして棲息し、自分たちを『オオカミ族』と呼んでいた。  オオカミ族。彼らは、狼山の頂上に広がる原野に、ひっそりと身を隠しながら暮らしていた。なぜなら彼らは、人類こそが彼らの敵であり最大の脅威であると知っていたからである。よって人間たちに発見されないよう、日々細心の注意を払っていた。昼間はほら穴の中で大人しく息を殺し殆ど仮死状態で眠り、主に夜間活動していた。  ではなぜそんな慎重なオオカミ族の一匹が、わざわざ人に発見されるやも知れぬ危険を冒してまで、この狼山から三十五キロメートルも離れた鬼が浜の海岸に姿を現したのか。その理由は、赤ん坊にあった。狼は死に懸けた赤ん坊を不憫に思い、小さな命を助けるべく、今ここに駆け付けたのである。そしてこの狼はオオカミ族のリーダーであり、名を『サンシャイン』と言うオスの狼であった。  サンシャインは狼山の頂上にいながらにして、鬼が浜のこの赤ん坊の存在に気付いた。実は昼間のうちから気付いてはいたが、人間に見られる危険を避けるべく、わざわざ深夜に至るのを待っていたのである。しかしでは三十五キロメートルも離れた狼山から、どうやってこの鬼が浜の赤ん坊の存在を知り得たのであろうか。それは、サンシャインに限らず他の仲間も同様、オオカミ族の彼らには特殊な能力が具わっていたからである。  特殊な能力。実はオオカミ族は、物質文明の檻に閉じ込められた人類には想像もつかないスピリチュアルな生命体であり、かつ人智を超越した種々の能力を有していたのである。  それはどんな能力か。先ず第一に、テレパシーである。オオカミ族は吠えたり、鳴いたりとは別に、心と心で意思を伝え合うことが出来た。それはたとえ相手が遠く離れ、互いの姿が見えなくとも可能であったし、不特定多数の相手に同時に語り掛けたり、歌い掛けることも出来たのである。  次に、瞬間移動である。厳しい修行を積み重ねることによって、雑念を払い無の境地へと到達する。そして意識の中で肉体を殆ど無と化すことにより、瞬時にして空間を移動することが可能となるのである。現にサンシャインはこの瞬間移動によって、狼山からここ鬼が浜へと移動して来たのであった。  そして見真の術(けんしんのじゅつ)と呼ばれる眼力であり、これは千里眼のようなものである。この力もまた厳しい修行によって得られ、千里とまではいかないが、大よそ十里(四十キロメートル程度)先まで見通せるようになるのであった。この術によって、サンシャインは鬼が浜の赤ん坊を見付けたという訳である。  更に能力とまでは言い難いが、オオカミ族のみんなは情に厚く、弱き者に憐憫の情禁じ難い、心やさしき生き物即ち博愛主義者でもあった。故に困っている者を見たら、見て見ぬ振りの出来ない性分なのである。  こうして見真の術と瞬間移動、加えて博愛主義によって、今サンシャインは、鬼が浜に捨てられた赤ん坊の前にその姿を現した。  サンシャインの存在に気付いた赤ん坊は、黙ったままじっとサンシャインを見上げた。といっても赤ん坊はまだ目の焦点が定まっておらず、相手の存在をおぼろげに感じ取るのみであった。サンシャインもまた赤ん坊を見下ろし、見詰め返した。すると赤ん坊は自らを見詰めるサンシャインの慈愛に満ちた顔、瞳の中に、命のぬくもりと息遣い、鼓動、体温、やさしさと言ったものを感じ取った。そしてサンシャインが自分を助けてくれること、よって自らが死の危機から脱出したことを、赤ん坊はこの時本能的に悟ったのであった。  オギャー、オギャー……。赤ん坊は再び元気に泣き出した。サンシャインにぬくもりと愛情を求め、親のように慕い、甘えるように。  よしよし。サンシャインは砂の上に跪くと、ざらざらした長い舌でペロリペロリと、赤ん坊の柔らかな頬っぺたを舐めた。すると赤ん坊はくすぐったいのか泣くのを止め、くすくすっと笑い出した。  しかし、如何致そう。赤ん坊の無邪気な笑顔を見詰めながら、サンシャインは頭を捻った。本来ならば人間の力が必要であるが、当然のことながら狼であるサンシャインに人間の知り合いなどいる筈もない。では仕方がない。然らば一旦我が山に連れ帰り、しばし面倒を見るとしよう。  サンシャインは赤ん坊を連れて狼山に戻るべく、体勢を整えた。先ず赤ん坊のベビー服の頭の部分を口にくわえ、赤ん坊を持ち上げた。すると赤ん坊の顔から笑みはさっと消え失せたが、決して怯えてはいなかった。赤ん坊はサンシャインを信頼し切っていたからである。  海岸を見回し誰も人影がないのを確かめると、サンシャインは鬼が浜から駆け出そうとした。そしてひたすら走って狼山まで戻ろうと思ったのである。なぜなら赤ん坊と一緒では、瞬間移動は不可能である。自分は戻れても、赤ん坊を一緒に移動させることなど出来る筈がない。サンシャインはそう信じ込んでいた。  しかし、待て。サンシャインはふと思いとどまった。もしかして、一緒に移動出来るかも知れない。そう思わせる程に、赤ん坊の身は軽かった。  少なくとも試してみる価値はありそうだ。そう思ったサンシャインはベビー服をくわえたまま、目を瞑った。そして無念無想。すぐさま無我の境地に入り、全身の力を抜いたかと思うと、  えいっ。  心の内で叫んだ。  すると、どうであろう。鬼が浜という空間にいた筈のサンシャイン並びに赤ん坊の姿がさっと消えた。かと思えば同時に、一匹と一人は狼山の山頂、オオカミ族のテリトリーに忽然と姿を現したのである。  やはり出来たか。何と素晴らしい。  驚きつつもサンシャインは、自分に向かって頷いた。こうしてサンシャインは、人間の赤ん坊を伴いながらも瞬間移動が可能であることを学んだ。赤ん坊の身が軽かったのは勿論のこと、人間とはいえまだ汚れを知らぬ無垢なる魂であったが故になし得たのであろうと、後日サンシャインは群れの皆に語って聴かせた。
/28ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加