序章 空の瓶

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序章 空の瓶

二〇二二年.八月.一日。 俺は友人三人を引き連れて、地元東京を新幹線で出発すると、大阪駅へとやって来た。初めて訪れた大阪に俺たちは大興奮したが、目的地はまだ先にあり、USJとか通天閣への観光に行きたい衝動を押し堪えたが、ちょうど昼時なこともあったため、せめてお好み焼きぐらいは食べていこうという話になった。たこ焼きも捨てがたかったのだが、多数決でお好み焼きに決定した。俺たちは大阪駅の近くでお好み焼きをたらふく食べると、更に在来線を乗り継ぎ、大阪駅から二時間近くかけて兵庫県の西部に位置する今回の旅の目的地、真宵村(まよいむら)へと到着した。電車の本数が限りなく少ないこともあって、到着したころには夕方の五時を過ぎていたが、八月のこの時間はまだ陽が沈むこともなく、辺りは明るかった。 俺たち以外にほとんど電車に乗っている人がいないこともあって、俺たちと共に降車する乗客はいなかった。無人駅に降り立った俺たちは、切符を入れて改札を潜り抜けると、東京の都会の喧騒とは正反対の景色に大きく息を吸い込んだ。ここまで長旅だったこともあり、座っている時間も非常に長かったため、俺はボストンバッグを足元に置くとうんと伸びをして、自然の空気で肺をいっぱいに満たした。東京では深呼吸をすれば車から洩れる排気ガスの臭いとか、建物に付いた室外機から洩れる空気の臭いとかが鼻孔を通り抜けていくのだが、真宵村では木々の香りが、花々の香りが、川の香りが体中に巡り、爽快感を感じることが出来た。 目の前に広がっているのはどこまでも続く緑色。田園地帯だ。畦道を歩く老人の姿が見える。畑に刺さった案山子の衣服が夏風に吹かれて揺れていた。昼間は入道雲が浮かぶ群青色の空に緑色が良く映えるであろうことが想像できた。もう少し時間が立てば、美しい夕焼けが見ることも出来るはずだ。田園地帯がオレンジ色に染め上げられていく様は、俺の住んでいる地域では絶対に見られない絶景だろう。 「ド田舎だけど、悪くねぇな」 「たまにはこういう場所で過ごすのもいいものさ。でも…怪しい村の風習なんてものが付きものなんじゃない?」 「あながちな冗談では済まないかもしれませんよ。仕来りや風習は恐ろしいですから」 「そんなホラー映画みたいな展開が、そう簡単に起こってたまるかよ」 俺は新鮮なものの数々に胸を高鳴らせながら、隣で思い思いに景色を楽しんでいる友人たちに視線を投げかけた。 今回の真宵村への旅の言い出しっぺは俺だった。父の兄にあたる平田康平(ひらだこうへい)叔父さんが真宵村でコテージを経営しているのだが、六月ごろ東京に遊びに来ていたときに俺に面白い話をきかせてくれたのだ。「真宵村には人魚伝説がある」というものだ。その人魚伝説の内容は至ってシンプルで、真宵村に住んでいた漁師がある日人魚を釣り上げたのだという。そして、人魚の肉には不老不死の効果があると知っていた漁師は人魚を村に持ち帰り、住民とともに平らげてしまったそうだ。だが、そのことをきっかけに村ではおかしな現象ばかりが起こるようになり、それは人魚の祟りだとされているのだという…。在り来たりと言うか、普遍的な話というか。今時こんなネタではオカルト雑誌も食いつかないだろうなんて俺は思ってしまったが、それでもこうして真宵村へやって来たのは好奇心に打ち勝てなかったからだ。オカルト好きとして、オカルト検証チャンネルとしてネットで活動している身としては、本当に人魚の祟りがあるのなら、この目で見てみたかったのだ。そして、俺一人で来るなんていうのはあまりにも勿体ないと思えたし、何よりも真宵村は何もない田舎なのだ。一人では退屈で死んでしまいそうになるであろうことを予想して、俺は同じオカルト好きの友人三人に声をかけたわけだ。 一人は入学当初から仲良くしている小野寺透(おのでらとおる)。学校一の美少年と言われている通り容姿には非常に恵まれているが、ナルシストかつマイペースなせいで女子からはあまりモテていない。だが、そのキャラが逆に生徒たちの間では受けて、ある意味では人気者の立場を確立している。加えてギターとピアノを演奏することができ、作詞作曲を趣味として、中学生とは思えない歌唱力を持っているため、それらも透が人気な理由だ。普段は軽音部で活躍している。 もう一人は同じく同学年の旭川楽(あさひかわがく)。仲良くなったのは一年の二学期だ。名前に反して根暗で陰気な奴で、教室でもいつも自分の席で読書をしているようなタイプだ。多分俺たち以外の友達はいないだろう。趣味で小説を書いており、投稿サイトでアップしているのだが、閲覧者はほとんどいないようだ。でも、俺は旭の書くホラー小説が好きだった。本人は「僕の小説なんて需要があるわけありませんから」と卑屈になっているが、俺はいつか日の目を見ることを信じている。幼い頃に母親を亡くしているようで、彼の性格はその出来事が起因しているらしかった。 最後の一人は先輩の浅野修也(あさのしゅうや)。俺と透と旭の三人で、学校で流行っているイナリ様という儀式を放課後に試していたところ、たまたま通りがかった修也先輩が興味を持って声をかけてきたのが仲良くなったきっかけだ。粗暴な性格で口が悪いせいで勘違いされやすいが、面倒見の良い兄貴肌で、俺たちの頼りになる先輩だった。典型的な不良のようにも見えるのだが、授業はサボらずに出席しており、勉強は真面目に取り組んでいるようだ。しかし、見た目の校則違反は多く、制服を着崩していたり、髪を茶色に染めていたりと悪いところもある。同学年には似たような友人が何人かいるらしかったが、部活をやっていないため後輩で関係があるのは俺たちだけだった。 そして俺、三輪寛太(みわかんた)。オカルト検証チャンネルというユーチューブチャンネルを持っており、登録者は二万人少しぐらいいる。この令和時代、中学生ユーチューバーなんて珍しくもないため少なからずアンチや批判してくる人間はいるが、平和に動画投稿をしていた。ただジャンルがジャンルなこともあり、不謹慎とかそういうことで炎上しないかは心配の種の一つだ。チャンネルを開設してから一年経ったが、まだバズりを経験したことはなかった。一年で二万人なら十分な伸びだと理解しているが、中学生で体を張って色々なオカルトの類を検証しているのがたまたま視聴者に受けているのだと分かっているのだ。このまま高校生、大学生になっていくうちに見向きもされなくなるだろう。そうなる前に俺は何としてもバズって、もっと多くの登録者を獲得したかった。ちなみに他にもいろいろなSNSのアカウントを持っており、常にチャンスを狙っているのだ。 そんな俺たち四人で、真宵村の人魚伝説を調査するために東京から兵庫県へと訪れたわけだ。因みに俺たちは康平叔父さんの経営しているコテージに三週間宿泊させてもらうのだが、もちろん親戚だからと言ってタダというわけにはいかない。三週間のうち三日間だけバイトをしなければいけないのと(もちろん給料は出ない)、他の宿泊者が利用したコテージを掃除することが、俺たち四人を無料で宿泊させてくれる条件だった。しかし、それだけでコテージを貸してくれるだけではなく、食費まで出してくれるというのだから太っ腹だ。 「あ、康平叔父さんだ!」 俺は駅に向かって走って来た黒いワゴン車の運転席に叔父さんが座っているのを見つけると「おーい!」と大きく手を振った。ワゴン車は俺たちの近くで停車すると運転席側の窓が下げられ、康平叔父さんが顔を覗かせた。俺たちの姿をぐるりと眺めまわしてから「よく来たな」と白い歯を見せて笑った。俺以外の三人がお世話になりますと挨拶をし、軽く頭を下げると、叔父さんは豪快に笑いながら親指で後ろを指さした。 「デケェ荷物はトランクに乗せ」 俺たちは言われた通りトランクに回り、扉を開けると宿泊用の荷物を積み込んで、ドアを閉めたのを確認してから後部座席に乗り込んだ。俺は二列目に座り、隣には修也先輩が腰かけていた。透と旭は三列目だ。俺たちが乗りこむと叔父さんはすぐに車を発進させ、小石を跳ねさせながら田園地帯を走り抜けた。 車内は芳香剤の香りと混ざって何か生臭いような臭いが漂っていた。我慢できないような悪臭ではないが、どうしても芳香剤では誤魔化せない程にはきつい臭いで俺は思わず顔を顰めてしまったが、いくら叔父さん相手とは言えども車が臭いなんて文句を言えなかった。他の三人も同じ気持ちのようで少し険しい顔付きをしていたが、気にしない素振りを見せていた。叔父さんは魚釣りが好きだと前に話していたし、この辺りでは川釣りが出来るようだから、きっとその臭いだろうと俺は適当な推測を立てた。 車は駅から三十分ほど走った。途中にちらほらと見えていた家屋や店もなくなり、辺りがすっかりと森に囲まれた場所で右手には大きな川が流れていた。その川から逸れて左へ曲がり、更に奥へと進んで十分。開けた場所へと車が出ると、木造建築の建物がいくつか並んでいるのが視界に留まり、すぐにあれが叔父さんの経営しているコテージであることを察することが出来た。一つのコテージの前ではファミリーがバーベキューの準備をしていた。康平叔父さんは五棟並んだコテージの右から二番目の建物の前に車を停車させると「到着や」とバックミラー越しに俺たちに目配せした。俺たちはお礼を述べて車から降りると、敷き詰められた砂利を踏みしめてトランクから荷物を出した。 コテージは木造建築のこじんまりとした二階建てになっており、俺はアルプスの少女ハイジのお爺さんの家を思い出していた。コテージ前はバーベキューをするスペースが用意されており、車の駐車スペースもあった。叔父さんは俺に鍵を投げ寄越すと「なくすなよ」と注意した。俺は両手で鍵をキャッチし、辺りをぐるりと眺めて「五棟しかないの?」と訊ねた。 「もうちょっと奥にあと二棟ある。でもそっちはいいから、お前たちが掃除をするのはこっちの四棟や。退出日はその都度教えるわ。バイトは今週の金、土、日やからまた前日にでも連絡する。食料はとりあえず一週間分は冷蔵庫に入ってるから、また日曜日か月曜日に買い出しに車出したるわ。それ以外での買い物は自分たちで行け。どうせ人魚伝説の調査で村まで出るんやろ」 叔父さんは必要なことをざっと俺たちに説明すると、最後に「困ったらいつでも電話かけてきい」と言ってくれた。俺たちは特に聞きたいこともなかったため(長旅で疲れていたのが最もな理由だ)、叔父さんにお礼を述べると、荷物を持ってぞろぞろとコテージへ上がっていった。叔父さんは俺たちが入っていくのを見届けることはなく、再び車へと乗り込むと、自分の家へと帰っていった。 玄関に続く数段の階段を上り、ドアに鍵を差し込んだ。俺は「今日はさっさと寝て、明日の朝から調査にしよう」と三人に提案すると、それぞれから疲労を滲ませた返答があった。 こうして、俺たち四人の忘れられない夏休みが始まることとなった。
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