頭でっかち

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頭でっかち

 時にスリルは人間を狂わせる。痛いほどの快感が一時的に"結末"というものを忘れさせ、興奮を代償にそれを思い出したころには先ほどよりマイナスの位置に立っていることに気づく。  一つ。マイナスの位置から戻るためには一つ、何か代償を払わなければいけない。信頼、お金、時間…大切な何かを失い、元の位置に戻る。重要なのはこれはということだ。ただ、元の位置に立っただけでそれ以上ではない。    二つ。これを勘違いする奴は一定数いる。それもかなりの数だ。人間は生物界においても高い知能を持つ生き物で、記憶力も相当なはずだ。にもかかわらず、マイナスに立った人間はそれ以前の記憶をシャットアウトし、再び0に戻ったことを進んだと勘違いする。  すごろくで"2マス戻る"という指示を受けた後に、1マス進んだところで周りとの差はさっきよりも広がっている。しかし、当事者は元の位置に戻ろうとするコマにという錯覚を起こすのだ。  三つ、四つ。マイナスに立った人間は意外としぶとい。当然だろう、一度経験しているのだから。どうすれば元の位置に戻れるのか、その手段を知っていればもう一度リスクを冒すことに恐怖心は無い。無いが、感じられるスリルも以前ほど大きくなくなる。  五つ、六つ。スリルと快感は表裏一体だ。スリルが小さくなれば、当然快感も無くなる。だとすれば?より大きなスリルを求めるに決まっているだろう。この"求める"という感覚は野性的なもの、いわゆる『本能』というやつだ。  『本能』が理性に勝る、それは動物としては当然のことだ。しかし、厄介なことに人間は『本能』を軸に生きていくことはできない。だからこそ再び理性を持った時、自分がさらに深いマイナスに立っていることに気が付く。  七つ、八つ、九つ。深いマイナスに陥るとそれに匹敵するほどの大きな代償が必要になる。最初は一つでよかった犠牲もここまで来れば、一気に三つ四つ必要になることもあるだろう。さらに、その時には代償を選ぶことすら叶わない。なぜかって?そりゃもちろん何も残っていないからさ。  こういったとき、最後に残るのは大抵自身の中で一番大切なものだ。かけがえのない思い出や社会的立ち位置…まぁ、それほどのスリルを楽しんだのなら当然の代償だろう。  「おっと!」 下らないことを考えている間に、残った歯は一本になってしまっていた。結末を知るにスリルなど微塵も感じない。  私が歯を押し込むと間も無く、ワニがその大きな口を閉じた。派手な音も痛みもないそれに思わずため息が出た。  しかし、スリルがなければ代償もない。再び口を開ければ、選択肢は再び現れる。    結局、これくらいでいいのだ。
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