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七
ぱたぱたと雨粒がベランダの欄干を叩く音で目が覚めた。軽く午睡をするつもりが、いつの間にかぐっすり眠りこんでしまっていたらしい。
俺が目を覚ました時、部屋のカーテンは開かれていて、その前に座っている座敷童の後頭部が見えた。艶のある黒い髪は癖の無いストレートで、肩のあたりまで伸ばされている。
石灰色の雲が覆う空は暗いが、その下の街は煌々と明るい。街灯とネオンの光に照らされて、雨の中にぼんやりと浮かぶコンクリートの群れを、座敷童は静かに眺めているようだった。
その左手には、ソースカツ風味の駄菓子が握られている。
「……おはよう」
声をかけるべきか、少しだけ迷った。迷ったものの、迷っているうちに、起きがけの口が勝手に言葉を紡いでいた。
「おはよう」
返事はすぐに返ってきた。言葉に遅れて振り向いた座敷童は、穏やかな笑みを浮かべている。
だがその瞳の中に、ほんのわずかな憂いの色が含まれているように見えたのは、部屋が薄暗い故の見間違いだったのだろうか。
「雨だなぁ」
「……雨だな。午前中は晴れてたんだけど」
体を起こし、座敷童の隣に座りなおした。
「そうそう。その午前中にさ、変な奴に会ったよ」
「へえ?」
お菓子をぽりぽり摘まみながら、座敷童と他愛のない雑談に興ずる。
そんな時間が、気付けば生活サイクルの一部として、当たり前のように定着していた。
「急に出てきて、すぐに居なくなって、それと……なんか、狐みたいなやつだったな」
「もしかしたら、本当に狐だったりして。化け狐」
カツをあぐあぐと噛みながら、なんでもないことのように座敷童が言う。
たしかに、座敷童なんてものが現にこうして存在しているのだから、ヒトに化ける狐がいたって何らおかしい話ではないのかもしれない。
「やっぱりいるのか? 化け狐とか、そういう、妖怪みたいなやつって」
「ボクみたいな座敷童がいるくらいだし、いるんじゃないかなぁ」
他人事のような言い方だった。違和感を覚えて視線を向けると、座敷童は困ったように笑った。
「わかんないよ。ボク、この部屋から出られないもの」
「それは……」
なんて言えばいいのか、わからなかった。
同情してやればいいのか、驚いてやればいいのか。どうするべきか悩んでいるうちに、座敷童は、ふっと姿を消していた。
封の切られた一枚のソースカツだけが、窓際にぽつんと転がっている。
雨音だけが響いていた。
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