価値のあるくだらない記憶

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 笹岡次郎。二十八歳。彼はこの物語における主体だが主人公ではない。  これは、彼の黒い天然パーマの中に収められた脳みその中の、脳内こびとのお話。  脳内こびと。  人間の脳内で働くこびと。思考・記憶・諸々の脳の活動は全て、このこびとが担っている。イメージとしては、脳自体が“笹岡次郎”という街であり、そこに住む数百人の脳内こびとが、その宿主たる一人の人間を動かしている感じだ。   「ふあああああ」  そして、今、脳内の図書館の立派な門の前。ゆらゆら揺れるロッキングチェアに座り、大あくびをしたのは、番人の脳内こびと。彼の膝の上には“クワガタの種類”と書かれた薄い本が乗っている。  外見は笹岡次郎とほとんど一緒。脳内こびとは、その主体となる人間と同じフォルムをしており、個体差はほぼない。この門番を見分ける唯一のポイントは、警備用の長い棒。しかし、それも今はロッキングチェアの傍らに置かれており、識別の用途すらも果たしていない。  門番である彼の仕事は、この門の中にある本棚の本を守ることだ。  脳内の図書館には、記憶の本棚がある。人間の記憶は、そのエピソードひとつひとつが本になる。しかし、この本棚にあるのは記憶の一部。長期間とっておく必要があると判断されたもののみがここに並び、保管される。 「暇だあああああ」  それもそのはず。脳内で事件が起こることなど滅多にない。しかし、大事な記憶に警備をつけないなど無防備であるため、彼はどれだけ暇であろうともこの門の前に来ているのだ。 「とりあえずお昼寝かなあ……誰も来ないしなあ」  完全なる平和ボケ。彼の元に他のこびとが訪れることなど殆ど無い。 「門番さん、おはようございます」 「は!海馬さん!おはようございます」  いた。  ほとんど眠りに落ちていた彼に声を掛けたのは、海馬さん。この記憶の本棚・図書館の司書である。勿論彼の見た目も笹岡次郎である。 「はい、新しいやつ。これも入れておいてね」 「“改訂版 小六の修学旅行行きのバス”と“福笑い”。ちょっと読んでからでもいいですか?」 「もちろん」  海馬さんは、この本棚に入れる本、つまり残しておく記憶の選定を行っている。どの記憶が残るかは、海馬さん次第なのだ。  番人は、受け取った本のページをペラペラと捲った。本棚にあるものは、最低でも三度は読んでいるため、新しいものが読めるのは嬉しい。しかし、正直そこまで興味は無い。  一冊は、かなり古い記憶がさらに数年経ち、脳内の別部門で内容が補完された、いわば二次創作の記憶。笹岡次郎は作家志望であるため、保管された記憶はどれも比較的しっかりした物語になっており、読み応えがあった。  もう一冊は、変な顔のおかめの絵があるだけの見開き一ページの絵本。これは早々に見終わった。  再びボーッとする番人。  笹岡次郎の脳内は今日も平和だ。
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