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わたしの声
私の名前は河本好葉。小学五年生だ。ある日、通学路である歩道橋を渡っていると後ろから声がした。
「おーい 河本ぉ!」
この声はいつもの陽キャ集団の内の一人、宮田君だ。
「ぼっち登校ですかー?」
嫌なところを突かれた。なんでこういう時にいつも一緒に登校している子がいないんだろう。
「無視すんなよー」
陽キャ集団がからかってくる。いつもなら言い返せるのにな。裕香と一緒なら……
「あいつ一人だと何も喋んないよな。つまんねえの」
ああそうだ。私はつまらない奴だ。いつも友達と一緒じゃないと何もできないのだから。まったく、己の怯懦を恥じるとはまさにこのことだな。ああ、一人でいるとこんなにも蝉の声が五月蠅く聞こえるなんて。
急いで正門をくぐり抜け、教室へと着いた。冷や汗をかきながらも授業の用意をして席に座った。裕香がいない。時間が永遠のように感じられる。周りの話し声が全て、雑音に聞こえる。
「はーい みんな席に就けよー」
先生が辛辣な表情でホームルームを始めた。なぜだろう。いつもは無表情で端的なのに。
「今日は皆さんにとても寂しいお話があります。」
この時私は、なんだかとても嫌な予感がした。
「今日欠席している奥村裕香さんがお家の事情で1ヵ月後に引っ越すことになりました。」
耳鳴りがした。私は思わず教室を飛び出してしまった。
「おい!どこ行くんだ河本!!」
クラスがざわついた。
「なんだよあいつ」
宮田が驚いた顔をして言った。
「はいはい静かに」
先生がクラスの騒然とした状況をどうにか止めようとしていた。
私は学校内を彷徨した末、屋上に着いた。勢いで教室を飛び出してしまったことを少し、いや、ものすごく後悔した。そんな後悔した私を慰めてくれているかのように、心地よいそよ風が吹いてきた。今日はこの上ないくらいの綺麗な秋晴れだ。裕香も観ているかな。一緒に見たかったな。
ガチャーー
ドアノブをゆっくりと捻る音がした。出てきたのは5年2組で私のクラスの担任の柴田先生だった。先生は私を見つけ、安堵したかのような表情をして近づいてきた。
「河本。少し話がある」
「……はい」
何の話がされるのだろう。少し怖い。
「勝手に教室を出て行ったことは怒らない。お前のことだから奥村のことが相当ショックだったんだよな。」
当たっている。全くその通りだ。
「どうして、裕香は学校を休んでいるんですか」
「奥村は、たぶん学校に来るのが辛いんだと思う。お前と会えなくなるってのがすごく悲しいんだと思う」
なんなのそれ。意味わかんないよ。言ってくれれば良かったのに。私まだ全然、裕香に何もしてあげられてないのに。あの時からずっとーー
私が小学校に入学した時、まだ右も左も分からず一人心細く教室にいるところに裕香はやってきた。裕香は小さく微笑んで、「友達になろう」と言ってくれた。大仰なことかもしれないけれど、その時私は人生で初めて、心が満たされた。とてもとても嬉しかった。それから私たちはいつも二人でいた。何をするときでも一緒だった。
「先生。私、裕香に恩返ししたい。最後に裕香に一生の思い出を作ってあげたい!」
か細いが、どこか力強さの感じられる声だった。先生は笑顔で答えてくれた。
「よし、分かった。先生はお前に協力する。一緒にその願いを叶えよう」
私の曇った気持ちが少し晴れたような気がした。ちょうどこの秋晴れのように。
気持ちが落ち着き教室に戻ると、周りからの視線に圧迫されそうになった。けれど私は勇気を振り絞って声を出した。自分の気持ちを解禁したのだ。
「みんな聞いて!!」
クラス全員の視線が一点に集中した。そして私は続けた。
「最後に裕香への一生思い出に残るような贈り物がしたいの!お願い!協力して!!」
クラス中がどっとどよめいた。珍しく大声を出した河本に驚く者もいた。柴田先生が場を鎮めようとしているが、一向に収まらない。私はどうしたら良いのか分からなくなり、今にも足がすくみそうだった。ああ、どうしよう。
「俺は良いと思うぜ!」
声を上げたのは宮田君だった。周りの視線が一斉に河本から宮田へと移った。
「奥村とはもう会えなくなるんだし、何より河本は奥村とすっげえ仲良かったんだぜ。河本に協力してやらなくてどうするんだよ!」
この言葉を聞き、私は嬉しくて涙がこぼれた。嬉しいの感情がこみ上げてしまった。
「それもそうだな。」「うん。そうしよう!」クラス中が連鎖するように宮田の意見に対する賛成の声が広がっていった。宮田の一言でクラスの空気ががらりと変わった。私は助けられた。
「ありがとう。みんな!」
私は涙を拭い、クラスのみんなに深々と頭を下げた。
「いいってことよ。あと1ヵ月だ。超特急で進めるぞ!」
なんて心強いんだろう。今朝の宮田君とはまるで別人のようだ。いや、これが本当の宮田祥吾という人なのかもしれない。私は僥倖に恵まれたのだ。
それから私たちは、まずどんなことをするのかについて話し合った。案は三つに絞り込まれた。一つ目は、今までの感謝の気持ちや伝えたいことなどを手紙にして送るというもの。二つ目は、裕香の思い出に残るようなプレゼントを創作しようというもの。三つ目は、一つ目のものと少しばかり類似しているが、裕香へのメッセージを動画にして送るというものだった。どちらにするか選び難い。どちらにするか考えていると、先生が何か喋りだした。
「三つとも良い案なんだから、どっちもにしてみないか」
考えてもいなかった。後から考えてみれば当然のようなことだ。流石だ。クラスのみんなも先生の意見に賛同したようだ。
「そうと決まれば、準備は早い方がいい。全員それぞれしたいものを選んで三グループに分かれよう。」
先生の声掛けと同時にクラスのみんなはそれぞれグループを作り始めた。私も慌てて二つ目の案のグループに入った。それぞれが結束し、協力し合った。より良いものができるようにと、互いに意見を出し合ったりもした。私たちのグループは裕香へ贈るメッセージを考えるために、裕香が学校を休んでいる間、放課後残って話し合いをしていた。
「裕香ちゃんはどんなことをすれば喜んでくれるかな?」
活発でクラスのまとめ役である美奈が言った。
「うーん、何だろう」
私は少し考えてからこう言った。
「裕香は昔から可愛いものや綺麗なものが好きだった。だから、可愛らしいものをプレゼントするのはどうかな」
すると、他の子たちもそれに賛同してくれた。
「それならさ、お揃いのストラップとかどう?色違いのキーホルダーみたいな感じの」
成績優秀、クラス一の優等生澤口さんが提案してきた。宮田君や柴田先生に続き、最近はよく良い意見が続くなと思った。
「いいね!それすっごく良いアイデアだと思う!」
美奈がパアァと興奮した様子で言った。
「じゃあどんなキーホルダーにする?」
「うーん……」
皆が頭を悩ませている中、一人が発言した。
「あの……、こんなものはどうですか?」
そう言ったのはいつも一人で泰然たる態度の佐々木さんだった。佐々木さんは恥ずかしそうにしながら鞄の中から紙を取り出した。そこには、女の子のイラストが描かれていた。とても上手に描かれている。
「これ、裕香ちゃんだよ!」
私がそう言うと、みんなも頷いた。裕香はいつも髪が長くて、どこか神秘的な雰囲気がある。そんな裕香のイメージにぴったりの絵だった。
「うん、これにしよう!ありがとう。佐々木さん!」
こうして私たちは裕香に贈るものが決まった。後は、この絵を元にして、キーホルダーを作るだけだ。私たちは早速先生に了解を得て作業に取り掛かった。
一方、一つ目の案のグループでは、着々と準備が進められていた。カラフルで大きな色紙に、クラスの一人一人が順番に一言を書いていった。あっ、ちょうど私のところにも色紙が回ってきた。色紙には裕香への応援メッセージが多く書かれていた。クラスのみんなの暖かさに私は相好を崩した。さてどんなメッセージを書こうか。悩みに悩んだ末、私は二人の思い出や感謝の気持ちを列記した。内容はまだ教えられないかな。私はまだメッセージを書いていない人に色紙を回した。色紙を渡された方は、河本の文字の数に驚きを抑えきれない様子でいた。少し恥ずかしくなった私は逃げるようにして三つ目の案のグループの所へと行った。
動画制作のグループでは、宮田君を中心に活動していたが、何かに悩んでいるようだ。どうしたのかを聞きたいが、未だに人見知りな自分がいるため、言葉が出そうで出ない。声が喉に突っかかった状態でいた。その時、ふと裕香に「好葉なら大丈夫だよ!」と声を掛けられたような気がした。それが幻でも、今の私には充分すぎる言葉だった。私は勇気を振り絞って宮田君の所に駆け寄った。
「ねぇ、宮田くん。どうしたの?」
突然声をかけられた宮田君は、一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに落ち着きを取り戻して答えてくれた。
「ああ、実は今から作る動画の内容に困っていてな。何を伝えればいいのか分からなくて。河本はどう思う?」
「えっ!?それは……」
緊張のあまり上手く話せない。落ち着け、私。落ち着いて自分の想いをしっかり伝えればきっと伝わるはずだ。少し考えた後、私はこう言った。
「うーん……やっぱり裕香への想いを伝えるのが一番じゃないのかなって私は思うよ」
宮田君が「なるほど」と言って、顎に手を当てた。その仕草に私は恍惚となった。
「確かにそうだよな。奥村に俺らの気持ちが伝わるようにしないとな」
「そうだよ。それに裕香はもうすぐ転校しちゃうんだもん。伝えられる時に伝えないと後悔するよ」
「よし、決めたぞ。俺は動画の中で奥村への気持ちを素直に伝えるよ」
宮田君はやる気に満ちていた。ううん。宮田君だけじゃない。この計画に関わる全ての人がみな、裕香のために必死なのである。
「うん、頑張ってね!」
私はそのことをとても嬉しく思い、頑張ろうと改めて決意した。
「おう!ありがとな」
宮田君は笑顔で答えてくれた。私にはそれがとても眩しく見えた。
私たちのグループではというと、作業は難航を極めていた。なぜなら、美術部の部員がいるわけでもないので、自分たちで作るしかなかったからだ。それでも私たちは諦めなかった。
「この部分はもっと丁寧に描かないと伝わらないんじゃないかな」
「ここはもう少しシャープにした方が良いかも」
私たちは互いに意見を言い合いながら、切磋琢磨してキーホルダー制作を進めていった。
それから毎日毎日、それぞれグループは裕香への最高の贈り物を作り進めていった。そして、裕香へのメッセージの書かれた色紙、裕香がモデルのキーホルダー、裕香へ送る動画がそれぞれ出来上がった。キーホルダーが出来上がったときは、走馬灯ではないけれど、1ヵ月間苦労して作ってきた思い出が思い出され、忘我の境に入ってしまった。そんなこんなで明日がサプライズをする日の一日前。そう、裕香が引っ越しする前々日の日になったのだ。私は緊張のあまり、黎明に目が覚めてしまった。二度寝しようにももう目が冴えてしまって寝ることができない。あと3時間半、何をして時間を潰そうか。「ちょっと部屋の掃除でもしておこうかな」掃除はいつもしている。だから今日はいつもとは違う場所を片付けよう。そう思い、古びたタンスやベッドの下にある引き出し等を片付けていると、埃の被った二枚の写真と手紙が出てきた。「何だろう。これ」埃を払い見てみると、その写真には私と裕香のツーショットが写されていた。この写真は3年前のものだろう。なんだか懐かしい感じがした。手紙の方を見るとB5サイズの紙に文字がびっしりと書き詰められていた。久しぶりに読んでみることにした。
『~河本好葉ちゃんへ 好葉ちゃんと出会って1年が経ちました。いつも、いっしょに遊んでくれて、ありがとう。あと、一年生の時に、一人でいる私を見つけて友だちになってくれて、ありがとう。とっても……』
「ん?」
私は違和感を覚えた。一年生の時、声を掛けてくれたのは裕香の方だったからだ。詳細を知るために手紙の続きを読んでみたが、分からない。一体どういうことだ。
「好葉。朝よ。起きなさい!」ドアの向こうからお母さんの声が聞こえた。
気持ちが騒ぐのを抑えながらも、朝の支度をし、家を出た。学校へ向かっている途中、あの歩道橋でまた宮田君と出会った。今日は私よりも前にいた。
「今日はいつもより遅いな。もしかしてサプライズ緊張してんのか。」
緊張している原因はそのことではないのだが、せっかくやる気を出している宮田君に、気取られて心配させたくない。私は本心を隠し、「はい」で返事をした。それから私たちは正門を抜け、5ー2の教室へと向かう途中、私たちは職員室前にいる柴田先生を見つけた。先生は何やら校長先生と話をしていた。話の内容はあまり聞こえなかったが、柴田先生は校長先生に深くお辞儀をしていた。先生は私たちの存在に気付き目が合ってしまった。先生はきまりが悪そうに、頭を掻いて笑った。
教室へ着き、いよいよ明日行われるサプライズの事前準備が始まった。今日はいつもの数倍ほどクラスの活気は増していた。それもこれも全部柴田先生が説得してくれたおかげなのだろう。本当に感謝でしかない。色紙のグループは最後に全員がメッセージを書けているかを確認し、動画班は、予備に複製をしていた。そして私たちキーホルダーのグループは色の塗り忘れが無いかなどのチェックをした。これで準備は整った。
そして授業が終わり、帰りの会を始めた。
「今日は早く寝るんだぞー!特に宮田!遅刻してくんなよ!!」
クラスのみんなは宮田へのいじりに笑った。私も少し笑った。
「それと河本。」
急に呼ばれてびっくりした。
「明日はお前が主役なんだからな」
先生はにこやかにそう言った。
それから私たちは家へ帰り、それぞれが、それぞれのしたいことをしながらも、みんなどこかで明日のことを考えていた。
そして翌朝、「少し体がだるい……」熱を測ってみると、38度を超える高熱だった。「今、何時だろう。」目覚まし時計を見てみると、もう8時05分になっていた。私は苦しいながらにも、急いでお母さんのところに行き、叩いて起こした。見るとお母さんの方が苦しそうだった。今の時刻と私の状態を伝えるとお母さんは飛び起きて学校に欠席の連絡をした。私はそのことを後から気づき、お母さんに学校に行かせてくれるよう説得したが、断じて拒否された。
そのころ、5ー2の教室では……
「河本のやつおせぇな。まさか休むとかじゃねえよな」
宮田は半分冗談で言った。クラスのみんなも時間が経つにつれ不安げな顔になっていった。すると柴田先生が走って教室に戻ってきた。先生の口が動く瞬間、クラス中が息を吞んだ。
「河本は熱で欠席、だそうだ」
数秒間、クラスの全ての生徒がただ茫然としていた。その様子を見て先生もなんとかやる気を損なわせないようにとしていたが、彼らのやる気はすでに、数分の一にまで減っていた。先生は頭を抱えながらも、皆にやる気を取り戻してもらえるように、精一杯に授業をした。そしてあっという間に給食の時間となった。
一方私、河本好葉はというと。母が寝ている間にこっそりと学校へ行く準備をしていた。服を着替え、ランドセルを背負った。玄関から外へ出ると音で気づかれるので、窓から行くことにした。私は慎重に降りた。そして家の前の道を通り学校へ向かった。私は走った。熱を忘れるほど走った。その時、国語の授業で習った『走れメロス』を思い出した。「確かあの物語もこんな風に友人のために走るんだっけ。メロスもこんな気持ちだったのかな」私もメロスと同じように、友のために走ったのだ。
私が教室に駆け付けた時、もうすでにみんなの姿は見えなかった。もう裕香の家まで向かっているのだ。私は絶望した。その時後ろから声がした。
「河本……か?」
声の正体は他でもない宮田君だった。
「なんで宮田君がここに?」
「それはこっちのセリフだ!」
「私、どうしても裕香に会いたくて……」
それを聞いた宮田君は何かを言いたそうにしていたが急に私の腕をつかみ、走りだした。
「宮田君!!?」
私は全てがいきなりのこと過ぎて頭が追い付かなかった。
「いいから走れ!まだ間に合う!!」
私は宮田君の言葉を信じて共に走った。校門を通り過ぎる時、男性の保健の那須先生に見つかってしまった。私たちは駐輪場に止めてあった柴田先生の通勤用の自転車をパクって、急いで向かった。先生が不用心な大人で良かった。そう思うのもつかの間、那須先生は私たちを追うべく車に乗り込んだ。宮田君は全力でペダルを踏んだ。自転車はどんどん加速する。冷たい風が顔や耳に直撃する。
ガタン!!ーー
前にある石でつまずいてしまった。私の体重でいつものように避けられなかったのだろう。
「痛っ、河本大丈夫か」
「う……うん。私は大丈夫。それより宮田君は!?」
「俺ならなんかよりこっちの方が重傷だ……」
宮田君は先生の自転車の方に視線を向けてそう言った。
「よし、ここからは走って行くぞ。」
「えっこの自転車は?」
「置いていくにきまってるだろ。ここからなら奥村の家までそう遠くない。まだ間に合うさ」
私たちは再び立ち上がり、裕香の家へと全力で走った。数分間全力で走り続け、ようやく裕香の家が豆粒ぐらいの大きさだが見えてきた。
「あともう少しだ!」
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