1章

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「じゃぁ明日の夕方までには帰るから、僕の晩御飯取っといてよ」 玄関の方から祐介の少し高めのよく通る声が聞こえてくる。 「はいはい。気を付けてね。何かあったら連絡しなさいよ。・・・ってもういないじゃない。あの子自分の言いたいことだけ言って。」 洗い物の手を止め、衛生的にまずいと思いながら、つい手拭き代わりに使ってしまうエプロンで手についたしずくを拭いながら玄関まで出てみると、そこには先ほどまでいたはずの祐介の姿はすでに無かった。 まったく。。。苦笑交じりに呟きながら玄関を開け、目の前の道路を見てみると、大きなバックパックを背負いマウンテンバイクを漕ぐ息子の姿が, 梅雨明けの澄みきった青空の下、グングンと小さくなっていくのが見えた。キャップから覗く少し茶がかった柔らかくて長めの髪、170センチという小柄な身長と細身の体形、加えて母親によく似た犬系で愛嬌のある顔つきのせいか、高校三年生になった今でもお宅の息子さんは可愛いねと言われる。そんな外見だけどやっぱり男の子だ。かなりの重量のあるバックを背負っても、ふらつくことなくグングン漕いでいる。しかし、あの子 あんな重い荷物背負って、何が楽しくて山に行くんだか。 全く理解できないと思いながら、見送っていると、みるみるうちに姿はすっかり見えなくなっていった。 祐介がキャンプに目覚めたのは高校入学した年の夏。ちょうどブームになっていた事もあり、道具を揃えなくても気軽に行ける近場のキャンプ場へ家族で行ったのがきっかけだった。虫が嫌だし、ゆっくり寝たい。でもキャンプ気分だけは味わいたいという我儘な要望から、その時はコテージに泊まるタイプの場所を借りていた。行ってみると、自然の中でやるバーベキュー(貸し出しの設備に準備してもらった食材だけど)は確かにとても美味しかったし、空気もキレイでとてもリフレッシュできた。だが、山際だし、川辺なので、当然夜になれば光に虫が寄ってくる。おまけに辺りは真っ暗。近くに他のキャンプに来ている人はいるものの、なんとなく怖さが拭えなくて、やはりコテージを借りておいて良かったと心底思った。にもかかわらず、祐介だけはどうしてもテントで寝てみたいとゴネて、結局管理局から貸し出しのテントを借り、一人でそのテントで寝てしまった。翌朝コテージから出てみると、蚊に一杯さされた顔や手足を痒そうにかきむしりながら、 「次来るときは、蚊取り線香と寝袋持って来ようよ」 と、満面の笑みで言ってきた。 祐介以外はキャンプにハマることもなく、一度の体験で満足してしまったので、次なんて考えてもいなかったのだが、それからすぐに祐介はお小遣いだけでは飽き足りず、短期バイトまで始め、少しずつキャンプ用品を揃えだした。また行こうと言われるのかと内心ヒヤヒヤしていたが、皆で行くより一人で行きたいと言われ、キャンプ中でも連絡がつくようにする事と、危ない事はしない この2点に注意するという条件で許可した。それからずっと多いときは毎週、少ない時でも月に一度は一人でキャンプに出掛けている。最初は友達が居ないのかとか、キャンプに行くと言って実は違う事してるんじゃないか とか邪推していたが、そのどちらも杞憂だったようで、一人のキャンプを満喫している様子だった。
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