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時は明治。
みるみる新しい西洋の技術や知識が流入し、商業と工業は急激な発展を迎え、活力に満ちた時代。
文明開化も真っさかりの、西洋の文化と、日本の文化が混ざりあい、混沌とした時代であった。
もう、石炭で走る汽車には飽き、上野浅草の高層ビル、「凌雲閣」にえれべぇたあという人を下から上に運ぶ機械が誕生したというのが、巷の話題となっていた頃。
文部省の官吏となり、丁度3年目の私は、立身出世に燃えていた。
当時の政府には、児童教育にも西洋の文化を取り入れ、国家の礎となる人物を育んでいこうという大きな潮流があった。
幼児教育課に配属されていた私もまた、時代の潮流に乗らんと、上司に向かって主張した。
「将来、大日本を背負う子どもたちの童歌には、やはり、新しい西洋の音楽を取り入れるべきです!」
私の主張はすんなり通り、私を含めた若手一同が、唱歌の作成を担当することになった。
同期のライバル達には負けられない。
私は早速、シューベルトやモーツァルトといった西洋の旋律を学びつつ、楽曲の制作に励んでいた。
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