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 便所からの帰りに前から幸村が歩いてきて、これはチャンスとばかりに声を掛けた。  ほら、話さないと何事も始まらないからな。 「おー幸村」  ヒクリと眉を揺らした。  何を言われるのかと構えたのかもしれない。とことん信用も信頼もない。無理もないか。この前のジョークはかなり効いてしまったらしくて少しモメたってミツが言っていたからな。  ああ、違うな。イジるなって言ったのにイジって無視されかけたんだっけか。 「便所か?」 「お前は俺の便所が気になるのか?」  そういえばそうだな。毎回便所の話題じゃ確かに能がない。もう少し何か捻りを効かせないといけないな。  俺に対して構えているようだってわかる程度にはそれなりの表情を浮かべてくる。  お綺麗な面は表情を変える事が少ないからこれはまぁ進歩と言えなくも無いんじゃないか? 「便所くらいしか会話の取っ掛りないもんでな」 「会話の取っ掛り?」 「おー。お前ええ奴やって分かったからな。そんならちゃんと話してみたいやんか」 「は?」  目を見開いた。  ほぅ。その顔は少しばかりまぬけで年相応に見えるな。なんでそんな顔をしたのかは分からないが。  うん。  悪くないな。 「いや、俺は別に話とかしたくないけどな」 「残念やなー」  ほら、ほんの少しがっかりした。  多分だけど幸村自身は一人でいる事を望んでいるわけではなさそうだ。ミツのあの反応を見る感じだと何か事情があるのかもしれない。  果敢に挑んだ挑戦者達を振りほどいた頑なな態度もぶち破る勢いでいけば何とかなるのかもしれない。やってみなきゃそんなの分からない。 「俺は諦めが悪いから圭がそういう態度だと悪絡みするしかなくなるなぁ」 「……おい」 「顔見る度に腹具合聞くとかな」 「やめろや」  お、少しイントネーションが大阪(こっち)っぽいな。 「いや。やめへん」 「なんでそんなんなんねん」 「なんでって、そんなん理由は無いに決まっとるやんか」 「理由なく嫌がらせしますてなんやねん!」 「嫌がらせ違うぞ」  ふふふ。  勢いで圭って呼んでもそこはダメを出されなかった。それに表情だって拗ねたように唇をとんがらせてるし、なんか普通の友達とのやりとりに近いものを感じる。  これならいけるだろう。 「お前のことはもう友達認定しとるからな」  はぁぁぁぁ?!って顔をして俺を見下ろす圭と胸を逸らしてふんす!と見上げる俺を周りの奴等は珍しいものを見る目で遠巻きにしていた。  そこからはもうとにかく顔を見る度に話し掛けた。  廊下の端で俺の顔を見つけた瞬間にダッシュで逃げるくらいには俺の存在を意識した。  でもって逃げられたところで当然、俺は追いかけるけどな。 「おー、また圭追っかけとんのかー」  すれ違ったミツが楽しそうに声を掛けてきたけど、俺は全力で逃げる圭を追いかける。  廊下は走らない!とかいう声を追い越して、ぐんぐん加速する圭を追いかける。  息が上がって、酸素不足になった肺が痛んだけど、そらもう意地だ。  意地で追いかけて、階段を駆け下りては駆け上がる。  景色が今まで見た事のないようなスピードでクルクルと変わっていく。  とうとう追いついたのは屋上。  なんとか行き止まりへ追い詰めようとした結果だ。  うん!  結果は上々! 「はぁ……はぁ……っく……やっと……追いついた」 「息上がりまくりやんか」 「……お前……が……」  両手を地面について肩で息をする俺をしれっとした顔で見下ろす圭はほんの僅かも呼吸の乱れは無い。  今なら俺をひょいと跨いで逃げれば逃げおおせるのにそれをする気は無さそうだ。 「俺が?」 「バケモンか!」  完全なる言いがかりだ。  それに肩を竦めてフッと口の端を少しだけ上げて笑った。肉厚のぽたっとした唇が綻んで、いちごみたく真っ赤な舌がぺろりと下唇を舐めた。 「鍛え方が違うだけだろ」 「そんな鍛えんな!」 「好きで鍛えとるわけないやろ」 「嫌なら辞めちまえ」  ビックリした顔をした。  よくわからないけれど、好きでやってるんじゃないならやらなきゃいい。 「親の関係でいつ誘拐されるかわからん」 「あ?」 「だから出来る限りの対策をとってる」 「さようか」 「あぁ」 「そらしゃあないな」  やっと息が整ってきた。  俺を見下ろす圭は苦笑いのような顔をしている。 「じゃあ誘拐犯が来たら一緒にぶちのめしたるわ」  また目を見開いた。  そっか。  ミツはそういうつもりで鍛えていたのか。 「巻き込むとか後味悪い」 「何負けるつもりで話しとんねん。こちとらチビでもそこそこやるぞ。負ける戦はしない主義やからな」  成長期がちょーっと遅いだけだ。高身長の圭からみたらちっこい俺は頼りないのかもしれないけとな、巻き込むって言い方は俺が負けることを前提としてるだろ。  そう簡単には負けへんぞ。  負けるのが嫌だから戦わないだけだからな。負けないように戦えばそこまで卑下したもんでもない。 「負ける戦いはしないって、お前な……」 「千春!」 「は?」 「お前頭ええのに名前ひとつ覚えられへんのか」 「……四谷」 「だから!千春や言うてるやろ」 「千春」 「おー」  思わず顔を見合わせた。  それからフッと笑って視線を外す。 「なんか青春って感じせぇへん?」 「お前が勝手にそんな感じにしたんやろ」 「ええやん。たまには」 「…………まぁ、悪い気はしませんけども」  お互いそっぽ向いたまま笑った。  圭に追いついた。  そう思った。  俺はこの後、長い、長い、終わりに続く長い道を圭とミツと肩を並べて歩いていくことになる。  思いがけずに楽しくて、つい、うっかり俺だけの道へ逸れる機会を見失って、こいつらよりも先へと歩いていく日まで、肩を並べてバカをやることになる。  血よりも濃い関係を。  帰る場所を。  俺は見つけてしまうことになる。
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