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授業の終了を伝える鐘が鳴って、俺はゆっくりと第二音楽室へと向かう。
軽音部の活動は今日は無い。誰も居ないからこそ、一人になるのには最適だと思った。
カラリと扉を滑らせて中へ入ると、ホワイトボード前の一段高くなったところに置かれた黄色と黒のロープが目に入った。
なんでこんなところにあるのかはわからない。もしかしたら学園祭の準備で何か使うのかもしれない。
『なぁ兄ちゃん、これ丁度ええよなぁ?』
また夏希の声が聞こえた気がした。
「丁度ええて」
あぁ、そうか。
おあつらえ向きに適当な高さに梁が渡してある。あそこなら椅子に乗ってロープをぶん投げれば梁に掛けることが出来そうだ。
ん?
梁に掛ける?
『これなら大丈夫。上手くやれるって』
「うまく……」
思考停止もいいところだった。
いつもは俺の思う通りになんて何一つ進まないくせに、こういう時ばっかり上手くいく。
違うか。
俺の人生ここがどん詰まりなら、今まで上手くいかなかった分の帳尻合わせが起きてるだけかもしれないな。
椅子に乗り上がって、首にロープを引っ掛けて、ぼーっと窓から見える秋の空を眺める。
なんて言ったか。
わりと気に入ってるフレーズ。
気に入ってるくせに出てこないのは脳みその回転が遅いからか?
「そっか……こんな晴れた日は、死ぬにはいい日だわな……」
鼻から深く息を吸う。
ゆっくりと口から吐き出して、また深く、深く息を吸う。
廊下の方から足音が聞こえてきたから、俺は何も考えずに椅子の背凭れを踵で後ろへ蹴っ飛ばした。
がくんっと体が揺れて、頭がじゅんっと痺れて何も考えられなくなる。
首……頭か?
痛くて、何も考えられない。
遠くで誰かの叫ぶ声が聞こえる。
誰の声だっけ?
「千春!よりにもよってこんなとこで自殺すんなや!俺だって死にたいの我慢して生きとんのに何ひとりで抜け駆けして楽になろうとしとんねん!ふざけんな!ミツの前でお前!クソが!死なすかこのボケェ!!!!」
随分な言い草やな。
うん。
えーっと……。
誰の声やっけ?
すっごい耳馴染みあるんやけどな……。
バチッと目を開いた。
頭の中がもわもわして、目の焦点も合わない。
ぼんやりした世界を眼球だけ動かして確認してみる。体はなんでか指一本動かない。全身が重だるい。
キシキシと軋みながら頭が回転を始めた。
そうか。
俺は自分で自分を殺そうとしたから、だから、そりゃ、体は俺のいうことなんか聞きたくないわな。
「気分は?」
聞こえてきた声に、さっきの罵詈雑言を吐いた人物が誰であったかに思い至って頭痛がした。
そうか。
圭か。
圭ならそうだよな。
あの状態の俺を見つけたなら、助けるよな。
即死じゃなかったなら、圭は助けてしまうよな。
焦って普段なら決して言わない本音もぶちまけるよな。
「……最悪や」
お前のあんな本音なんか聞きたくもなかった。
ゆっくりと圭に視線を向ければ、圭の肩越しに月が出ていて、もう夜なのかとかどうでもいい事が頭を過ぎる。
圭の傍らには表情の無いミツが幽鬼のようにぼんやりと佇んでいる。
こんな顔を見た事は無かったからショックを与えすぎてしまったんだと思う。
「弟のところへ行こうとしたんか」
なんだ、知ってたのか。
圭ならなんでも知っていて不思議じゃないからなんとなくそう思ったけど、箝口令が敷かれてるはずなんだけどな。
何となく圭のお綺麗なツラを見ていられなくなって俯いた。
「明日が通夜で、そん次が葬式、やったな」
「圭?」
何かを含んだようなミツの声が引き金になった。
俺の奥底でパンパンに膨れてた正体不明のナニカがパンッと弾けてどっと怒りが込み上げてきた。
「………………悪いか!」
どろどろとしたドス黒い何かが溢れて、頭の中は滅茶苦茶になった。
訳が分からない。
多分ここは病院で、俺は助かってしまって、夏希の声は聞こえなくて、自分を殺すことすら出来ないような俺に夏希は愛想を尽かしたんだ。
「俺が死んだとこで誰が困るん?少しばかり後味が悪いだけでなんも変わらんやろ」
叫んだつもりだけど、声に力が籠らない。
気が付いたら俺はベッドへ押し付けられていた。
何が起きたか分からないまま、暗い部屋の中で俺を襲う可能性のある人物を考えてみたけれど、ここには圭とミツしかいなかった。
そして、圭の居る方からは息を飲むような音がした。
つまり、今俺の首をギリギリと締め上げているのはミツという事になるな。
「かっ……!」
口から勝手に変な声が漏れ出た。
締め上げられている喉が痛くて、酸素も無いし、食い込んだ親指がぐぐっと鈍い音を立てていて首をへし折られるんじゃないかと思ったら体は勝手にミツの手に爪を立てる。
別に殺されてやってもいいけれど、ミツに殺人者の汚名を着せるのはなんか嫌だな。
なんとかしようとして暴れてみても体勢的に不利でどうしてもミツを振り解けない。そりゃそうか。格闘技やってる奴をそう簡単に振り解けるもんか。まして俺は死にかけだ。
暗闇に目が慣れてきてやっと見えたミツの瞳は奈落の底を覗き込んだみたいに真っ暗で、これがあの人懐こく笑うミツなのかと背中を冷たい何かが滑り落ちていく。
真っ暗で。
真っ黒で。
いつもきらきらと輝いている黒目から光が抜け落ちて、深い黒がそこにはあって。
虚がそこにはあって。
「ミツ!」
圭の声が響いて拘束が解かれた。
力が抜けたところでミツの手を振り払ってなんとか距離を取ろうとしたけど失敗してベッドに突っ伏してぜろぜろと激しく噎せた。
ぜぇ……ぜぇ……って体の奥の方から変な音がする。
身体中が軋んで、俺が生きている事を否応なしに理解させてくる。
あー……生きるって痛いな。
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