リアルの自分

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リアルの自分

歌手それぞれの感性が、当然ながら、どのsingerにも、当たり前に世界観として或る。其れが、固定となって、ファンになる。 例えば、凛として時雨。 これはもう、僕と言う存在の中で、メインテーマと言っていい。 意外なんだが、自分自身だけが、引っかかっているに過ぎないケースが多い。 悲しいが、何処まで彼らの音楽性が、深い意味で、理解されているのか? そんなことを言えば、柊木キライもそうだし、流行りをカラオケで唄う。 今時の若者は、そう言う新曲なんて、簡単に唄える。 そうやって、二人連れの友達が、カラオケルームで、楽しんでいる、そんな光景は、普通にありふれている。 私は、唄う事で、作り手が何を込めて、どの様な想いを込めているのか、理解出来る。 分からない歌い手が多い。 それは、昨今は特にそうだ。 SNS発の生み出される音楽達は、殊にそう言う傾向に傾きやすい。 syudou 彼もそう言った偏見が私にあり、彼女に良く、落ち着いてと言われた。 其れは嫉妬よりも、若い才能に対する、どうしてこんなものを理解しなければならない?!?! …official髭dandyismも、そうだった。 それを、昔、音楽通に話したら、今の人達の作る音楽も良いよ?と、その考え方は、あんまり良くないなぁ、と嘆かれた事がある。 なんで、そんなに若者を避けるのか?自分自身の内面を紐解けば、official髭dandyismには、メジャー感が、色濃く、テレビにも引っ張りだこで、出演して、それを、Mステやカウントダウンで、普通に見て、何か自分みたいな暗いキャラには不釣り合いだ、と感じていたからだ。 それなら、初音ミクを歌っていた方がまだ、自分の感性に近い。 今だに、cry babyは、自分の歌ではないという自覚がある。 其れは、校内暴力が吹き荒れた80年代のあの当時の空気で、今の僕には何も響かないのだ。 テレビで見ている分には面白いanimeだと思う。 ですが、現実で、人を殴った事のない僕には、実際そう言う喧嘩が、余り他人事に視えるんです。 一枚隔てた、自動ドアの先で、そう言う光景が、まさにリアルタイムで繰り広げられていたが、その世界には、首を傾げ、踏み込めない自分がいる。 僕は、喧嘩なんかした事ないし、虐められっ子だった。 腕っぷしは弱い。 不向きなんです。 チカラでねじ伏せる そんなマンガみたいな、強さが僕にはなく、僕は平凡な42歳の男性でした。 東京リベンジャーズの世界が、東横界隈のみでなく、この今いる自分の周りで、本当にそう言う、野蛮な人々が現実に居たとしても、僕はそう言う流れには、乗らないと思う。 一枚隔てた、透明なガラス戸の前にいる人々に対して、僕はついていけない。 今は踏み込むべきでは無いだろう。 とてもじゃ無いが、喧嘩祭りなんて、柄じゃない。 そんな事はもう、沢山なんだ。 自分の手は、他人が想うよりも、折れそうな程、手首は細い。 殴れば、直ぐ折れてしまう。 暴れる人には、助けてもらうしか無い。 自分には、そう言う人を取り押さえる程の腕力は皆無だった。
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