体験談Ⅲ

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 休憩に入っても耳から離れない。両耳を両手で塞いでも意味はなかった。軽快なメロディーが頭の中をぐるぐると回っている。こんな状態では休むこともできず、すぐにフロアに戻ると内田君は不思議そうな顔をしていた。  __恐れてはいない。恐れてなんかいない。  消費期限の切れた品物を物色しながら気を紛らわす。しかし今度は別の感情が沸き出す。  どうして僕が、こんな惨めな生活を送らないといけないのだろうか。あの人のせいだ。あの人が生きていたら、あの人がまともだったら僕は中卒でフリーターになることもなかった。金がないことに慣れてしまうこともなかった。あの人のせいだ。あの人の……。  朝のパートの人達と交代すると、自分の思考を振り払うように走って家まで帰った。部屋に入るとすぐに服を脱いで、風呂場で水圧を弱くしたシャワーを頭から浴びる。全てを洗い流したかった。  いくら恨んでもこの生活が変わるわけじゃない。だから考えないようにしていた。奥深くに沈めていた。なのに思い出す。あの人の声を。あの人の最後の顔を。 「__っ」  突然、部屋から音が聞こえた気。  シャワーを止めて扉を開けると、顔だけ出して確認する。音は聞こえない。何もいない。急いで身体を洗いバスタオルで拭きながら出ると、今度はピタピタという音に風呂場を覗く。シャワーから水が滴っている。  急いで服を着てジャンバーを羽織ると、湯冷めしないように身体を丸める。どこからか隙間風が入ってくる。しかし節約のために暖房はつけない。  卓袱台の上のビニール袋がカサカサと音をたてる。薄い壁がピキピキと鳴る。聞き慣れたはずの音が、今日は気になってしょうがなかった。
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