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しかし初めてこの部屋を訪れた美恵子は、嫌な顔をすることも汚いと言うこともなかった。それどころか「古い造りの中で修ちゃんが一生懸命に丁寧な生活をしていることがわかるね」と、優しく微笑んでくれた。
言葉は人を現すというが本当だと思う。朗らかで柔らかな言葉は彼女そのもの。僕は彼女の選ぶ言葉が好きだ。
畳の上にゴロンと横になるとスマホを取り出し、ホーム画面に設定した美恵子の写真を眺める。何気ない瞬間を撮ったもので彼女は照れたように微笑んでいる。
バイト先にアルバイトとして入ってきた日、みんなの前で恥ずかしそうに頬を赤らめてハニカム姿が印象的だった。染めたことのない艶のある黒髪を一つに束ね、化粧もしないあどけない顔は可愛らしいと思った。そして、シャツに黒いパンツという制服が地味だと女性からは人気のないファミレスで働こうと思ったそのこと自体に好感が持てた。
当時、掛け持ちでバイトをしていた僕は夜のコンビニでのバイトをメインにしていた。昼のファミレスはあまり入ることがなかったけれど、たまに会うと彼女が気さくに声をかけてくれた。
休憩の度に読んでいた本が、僕の好きな真夜先生のもので親近感が沸いた。二人で話が盛り上がった。美恵子は他の人とは話さないのに、僕とは嬉しそうに話してくれた。
まさかとは思ったけれど彼女の好意に薄々気づき始めた僕は、生まれて初めて告白をした。
重い瞼を見開き驚いた彼女の顔は今でも覚えている。そして小さな唇が「はい」と、震えながら動いたことも。
__お互い初めての恋人だった。
美恵子のように可愛らしい女性が、僕のような男を初めての恋人に選んでくれたとが嬉しくも不思議だった。
しかし、彼女は僕の無頓着さが好きだと言った。自分を着飾る男は苦手。相手にも同じことを求めるから疲れてしまうからと。だけど服にも自分自身にもあまり興味のない僕は、美恵子に何かを求めたことはない。干渉されることを嫌いとする彼女にとって、僕の無頓着さは心地よいそうだ。
美恵子は秘密主義なわけではないけれど、お喋りなタイプでもない。僕も多くを語るタイプではないし、丁度良いのだと思う。
「よし!」
伸びをして起き上がると卓袱台の前に座りノートを開く。
美恵子は自分には勿体ない程の素敵な女性だ。交際して一年が経過したことも奇跡だと言える。
しかし、このまま甲斐性のない情けない彼氏で終わりたくない。彼女の隣にいても恥じぬ自分になりたい。
今までの僕ならば、執筆活動の為に他人を巻き込むようなことはしなかった。しかし今回は本気で賞を狙いたい。だから自分の尻を叩くためにも、嘉吉山という協力者の力を借りた。無駄には出来ない。
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