体験談Ⅰ

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「あなた。日記はつけてる?」 「え?」  何の脈絡もない話題に思わず思考が停止する。日記。日記? 「リアルな小説を書くには、まずは自分の感情を機敏に感じとることが大切だってある作家さんが言ってたから」 「もしかして真夜月香(まやつきか)先生ですか?」 「そうよ」と、頷く彼女に驚きを隠せないのは真夜先生はメジャーな小説家とは言えないからだ。  定期的に新刊を出しているし、一定のファンはいるのだろう。しかし、大きな賞を取った経歴もなく地道に活動を続けているタイプの小説家だ。  僕自身は同じホラー作家を目指している身として、先生の作品は全て読んでいる。それに独自の世界観が面白いと思うけれど……。 「意外ですね」 「そうかしら? 嗜む程度だけど」  彼女は細い両肩をヒョイっと上げて笑っている。 「あなたも読むの?」 「はい。真夜先生みたいに、リアルな恐怖が書けるようになりたくて全巻読んでます。その度に、才能がある人は違うなって落ち込むばかりですけど」  情けなくなった僕は、俯きながら頭をポリポリとかいていた。すると、視線を感じた。ふと顔を上げると、彼女は片方の口元だけを上げて微笑んでいる。 「本当に才能なのかしら」 「え?」 「才能って不確かな言葉じゃない?」 「……そ、そうですか?」  思わず質問を質問で返してしまったのは、僕にとっては確かな言葉だったからだ。  幼い頃からその存在を他者に見せつけられてきた。だからと言って、彼女にその経験を話すつもりはない。 「決めつけてはダメよ」  暫く見つめ合っていると、彼女の唇がゆっくりと動く。 「才能以外の何かがあるかもしれないじゃない?」  そして口元を引き結ぶと、僕の瞳をジッと見据える。 「思い込みは駄目。あなたは恐れないと言ったけれど、それだって思い込みかもしれない。だから私は、今日はこれ以上は話さない」  柔らかな雰囲気を醸し出しながら、彼女の内側には太い芯が見える。それは自分にはないものだ。だからその芯を、どう動かすか僕には術がわからず素直に頭を下げた。 「わかりました。今日はお時間を作って頂きありがとうございました」  太股の上に両手を置いて深く頭を下げると彼女に笑われた。 「畏まりすぎよ。それより明日はどう? 締め切りもあるでしょ?」 「……えっと、明日もお時間を作って頂けるんですか?」 「勿論よ。一日一話しか話せないお詫びって、逆に足労をかけてしまうけど」 「とんでもありません! よろしくお願いします!」  もう、一度頭を下げると彼女が立ち上がる気配がした。
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