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手負いの大型犬
「レイナちゃんお疲れ様」
疲れた顔の黒服に見送られ、店を後にしたのは午前二時を過ぎた頃だった。
「お疲れ様でした」
ぺこりと頭を下げて、徒歩で帰宅する。
ヒールの靴はスニーカーに履き替えてある。
酔っ払いを避けて早足で家路を急いでいた。
昼の仕事を辞め、夜の仕事に転職して数ヶ月。
繁華街の一角にあるラウンジが職場だ。
夜の仕事と言っても、高級クラブのホステスでは無いのでお給料はそう高い訳では無い。
終電が無い。
ついでに送迎がある店でもない。
タクシーは高い。
よって歩くしか無いのである。
夜の街が危ないのは重々承知している。
何かあったら走る為のスニーカーなのだ。
帰ってお風呂に入って、ビールを一本だけ飲んで寝よう。
明日のシフトはいれてない、やっぱり二本飲もうか。
角を曲がってツーブロック。
この先のコンビニに寄ろうと細い路地を通り過ぎようとした。
ぬ、と大きな影が視界に入って、びくりと足を止めた。
働き出して数ヶ月、初めての危険に遭遇したのかと肩に力を入れた。
声をかけられたら走ろう。
都が足に力を込めた所でその影の正体が目に入った。
薄暗い路地から現れたその大きな影は男だった。
…背も高いがとにかくガタイが良い。
分厚い胸板に、殴られたら吹っ飛びそうな太い腕。
男は何故か自分の拳を口に当てていた。
アップバングの黒髪短髪。
顎のラインのしっかりした顔は、体格に似合わず童顔だった。
(うわぁ…舐めてる)
右の拳の挙頭を、ベロンベロン舐めている。
…控えめに言って引いた。
子供の頃よく食べた指輪型の大きなキャンディーを思い出した所で、男と目が合った。
「…」
「こんばんは」
声は悪くない。
体格に似合った低音。
しかし、何故ここでご丁寧に挨拶をしなければいけないのか。
邪険にして逆上されても困ると咄嗟に判断した都は、僅かに会釈を返し男の前を通り過ぎようとした。
「ぐぐぐぅ…」
低く響くくぐもった音。
その音に男に視線を戻した時、その手首に血が伝ったのが見えた。
「へへ、腹減ってて」
ヘランと笑った男。
辞めた仕事の名残か、都は足を止めた。
「舐めときゃ治るレベルじゃないと思うわよ?」
「へ?」
童顔のその男はきっと、この路地裏で喧嘩をしていたのだろう。
じゃなきゃ拳なんて怪我するはずがない。
関わってはいけないと分かっているのに、何故かその手首を掴んでいた。
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