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祖父母が会社の支払い業務などを済ませ、病院に到着してモルヒネの投与が始まったときには本当にホッとしました。
これで母さんの苦しみを取り除いてあげられる!!と。
もう、そのころには本当「頑張って欲しい」という気持ちは全くなくなっていました。
心の中にあるのは「もう頑張らなくていいよ。母さんは精一杯頑張ったもの」。
そういう言葉ばかりでした。
でも、人間って簡単には旅立てないんですね。
母、結局モルヒネ投与が始まってからその効果が少しずつ出始め、呼吸が穏やかになっていくまでの2時間以上の間、ずっとうめき続けていました。
この間に父が親戚たちと遺影に使う写真の相談などをしていて……。
それを見て「なんで? まだ母さん生きちょるんよ?」って言ったら、父は悲しそうな顔をして、「母さんが亡くなった後、滞りなく送り出してあげられるよう、今から支度をしておいたほうがいいってみんなに言われたんよ」と言いました。
「きっと、母さんが死んでしまったら、わし、そういうのを考えられる気持ちのゆとりがなくなるじゃろうけぇ。今のうちにとびっきり可愛い、母さんらしい写真を選んでやろうと思うちょる」
父の言葉に、私はそれ以上父に抗議することはできませんでした。
母に生きていて欲しいと願いながら、今ここにいるみんな、実は母が旅立つのを今か今かと待っているんだな、とぼんやり思ったのを覚えています。
誰か親しい人の死に目に間に合うよう集まるというのは、その親しい誰かの死の瞬間を、みんなで見守る行為に他ならないんです。
それは大切な人の死の瞬間を待つ行為そのものなのだと、その時ふと思ったのを、私、あれからずっと心の中に抱えて生きています。
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