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2008年3月26日。
両親ががんセンター行きの旅行?へ行っている間、私は家で犬や猫のお世話をしながら仕事に行き、いつも通りに過ごしながら二人の帰りを今か今かと待っていました。
膵臓がんが難しい癌だというのは知っていましたが、きっと東京に行けば何らかの活路が見出せるはず。
三者三様。
だけどみんなしてそんな根拠のない夢を心に抱いていたのは確かです。
が――。
東京から帰ってきた両親を見た私は、即座に〝良い話〟は聞けなかったんだ、と悟りました。
行きには生き生きして「行ってきます」をした両親が、帰宅したらどんよりしていたからです。(旅の疲れだけじゃない重苦しさがありました)
「東京で治療してもこっちで治療しても…膵臓がんに使える抗がん剤は2種類。全く変わらんのんじゃと。手術も今の母さんの状態じゃ無理じゃって言われた。放射線治療も癌の範囲が広すぎて無理らしい」
結論として、こちらの病院(医師会病院)で、主治医の指示に従って抗がん剤治療をするのが得策だよ、というお話だったみたいです。
東京に行けば、こちらとは何か違う治療が受けられるんじゃないかと思っていただけに、すごくショックでした。
過日U総合病院で受けたショックと同じ辛さを、またしても母に味あわせてしまいました。
そのことがたまらなく辛かったです。
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