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プロローグ
去年の秋に母が亡くなり、約半年が経過した頃。
世間は五月の連休の真っ最中だが、私には特別な用事は何もなく、その日もありきたりな一日が始まると思っていた。
朝起きて二階の寝室からキッチンへ降りていくと、目に入ったのは、テーブルの上に置かれていた一枚の紙片。内容は、子犬の注文に関するものだった。
驚いた。
それまで父が飼うペットといえば、メダカや金魚のような小魚ばかり。愛玩動物の類いに関しては「犬や猫みたいな動物と一緒に暮らすなんて不潔だ、信じられない」と否定的な態度を示してきたからだ。
一応、私が小さい頃には実家に犬がいたはずだが……。
私が十代まで住んでいた『実家』は祖父や祖母と同居であり、両親の家というより祖父母の家という認識だった。だから犬小屋の中の芝犬も「祖父が飼っている」と思っていた。
そもそも私が物心つく前だから四十年以上、いや五十年くらい昔の話であり、私自身は犬の散歩に同行した記憶もあるものの、犬が死んだ時のことは全く覚えていない。いつのまにかいなくなっていた、という記憶しか残っていない程度だった。
そんな父が犬を飼い始めるというのだから、驚きではないか。
ペットショップに注文したのは、生後三ヶ月のトイプードルだという。
昔の実家にいた芝犬ならば――外の犬小屋で飼うような犬ならば――ペットというより番犬という意味合いもあるかもしれないが、トイプードルは室内犬だろう。バリバリの愛玩動物だ。それこそ「犬や猫みたいな動物と一緒に暮らすなんて不潔だ、信じられない」の対象ではないだろうか?
まあ父は昔から手のひら返しも多いタイプで「それまで『こんなものが面白いなんて理解できない、どうかしている』と言っていた分野に突然関心を示して新しい趣味とする」ということもあったので、今回もその一環かもしれない。そう考えれば納得できるのだが、それでもまだ不思議に感じる部分があった。
普通に考えて「妻が亡くなって半年後にペットを飼い始める」というのは「妻が亡くなって寂しくなったから代わりに」が理由になりそうだが、父は情よりも理屈で動く……どころか、そもそも『情』というものが理解できないタイプ。ドラマを見たり小説を読んだりしても、登場人物の心の機微が意味不明に思えて、全く楽しめないらしい。
そんな人間でも「妻が亡くなって寂しい」という感情が生まれるのだろうか?
後で「どうして犬を飼い始めのか」と尋ねてみたところ、実は前々から「犬を飼ってみたい」という気持ちがあったのだという。でも母に反対されたので、飼わなかったそうだ。
ならば、これも一応は「妻が亡くなったので」の範疇なのだろう。「寂しくなったから代わりに」と続かないのが、いかにも父らしいわけだが。
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