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そう返答しつつ指は別の生き物みたいに軽やかに鍵盤を走る。本当にこの人にとってはこれって、出したい音を表現するための『楽器』なんだな。
わたしには音楽のセンスなんてかけらもない。それでも、ピアノとその音が奥山くんの血肉になってるのが漠然とだけどわかる。素養のない人にも才能が伝わるってすごいなとシンプルに感嘆した。
こんなの目の当たりにしたら、せっかく越智に気持ちが傾いてただりあが速攻で奥山ファンに復帰しちゃう。とついさっと周囲を見渡してしまった。幸いなことにまだ集合時間にはだいぶ早くて、知り合いの顔は見当たらない。
「ここにこういうのあるらしいって、集合場所を検索したときに。広場についての情報で見つけたんだ」
奥山くんはさらっと手の運動みたいに音階を上から下まで弾いてみせた。すごく簡単そうに見えるけど。わたしとかには絶対無理なのはわかる。
「申し込みとかしなくていいの?本当に普通に。自由に触っていいんだ」
一瞬、カメラとかがどこかに仕込まれてるのかな。と周囲を見回してしまった。隠しカメラみたいなものだったらわからないけど。TVスタッフが遠巻きに撮影してるとか、そういうのはなさそうだ。
「うん。…蓋閉まってるときもあるらしいんだけど。今日は土曜日だから空いてたのかな。もし使えたら少し借りようと思って早めに来たんだ。ちょっと、実際に弾いて確かめたいフレーズがあって」
そう呟いて鍵盤に視線を落とし、さっきの旋律をまた繰り返す。少し離れてこっちを伺ってる女の子二人があれ、何の曲だろ?って言い合って首を捻ってる。
気になるよね、わかる。何故か耳に残る感じのメロディだから。ちょっと通しで聴いて先を確認してみたい気持ちになる。
「ピアノ用にアレンジしようと思えばやっぱり実際に弾かないと難しいんだろうね。…あの、さっき弾いてた曲さ。今できてるところまででいいから。もしよかったら、聴かせてよ」
そしたらこっち見てるあの人たちも喜ぶかな。なんか期待して先を待ってるみたいだし、と考えてそう頼んでみる。わたしがお願いをしたのが予想外だったのか、やや面食らった表情を見せつつも奥山くんははにかんで頷いた。
「じゃあ、ざっとだけど。…せっかくだから。やっぱり羽有ちゃんに聴いてもらえるなら、僕の方も嬉しいし」
そう言ってピアノの方に正対して椅子の上で姿勢を正す。すっ、と自然とピアニストの空気を纏ったのがわかった。観客の女の子たちにもそれが伝わったらしく、二人はその場から動かずにじっと遠巻きに成り行きを見守ってるようだ。
彼が弾き出した曲は、やっぱりわたしには聞き覚えのないものだった。
だけど初めてとは思えないほど自然と胸に入ってくる。しっとりしたメロディでの入りだけど、どこかからんと明るい。と思ってたら不意に旋律がぐっと頂点に駆けあがって弾けた。
音楽の素養もないくせに何でかよくわかる。…これは夏の歌だ。
かっと照らす眩しい太陽の光を浴びてる感覚。だけど明るいだけじゃなくて少し寂しくて、何だか切ない。音の羅列で人の感情を伝えることができるんだな、とそれまで考えたこともない感嘆を味わった。
いわゆるサビと思しきパートを終えたところでふと音が止まった。手を止めた彼の肩から力がふっと抜ける。
表情を輝かせた女の子たちがぱちぱちと両手を叩いてる方に軽く頭を下げて、振り向いて立ち上がった彼はもう普段の奥山くんだった。
「できてるのはここまで。…まだ途中なんだ、本当に。全体が完成したらもっと手直ししなきゃだけど」
なんかよくない?え、今のって誰の曲?って口々に言い合ってる彼女たちと足を止めて聴いていた数人の聴衆に向けてもう一度軽く礼をして、その場を立ち去る奥山くん。わたしを促して始発の駅の改札に近い一角へと身を寄せた。
「あの人たちも知らない曲なんだ。…え、あんまり有名じゃないアーティストの曲なの?知る人ぞ知るみたいな」
その割にすとんと耳に入ってくるストレートな聴きやすい曲だった。マニアックでマイナー、って感じじゃなかったな。
わたしの問いに対して何故か彼はやや濁すような返答をした。
「うん。…そうだね。こうやって人前で演奏しても。聴き覚えのある人はいないと思うよ」
知り合いの作った曲とかかな。それをオリジナルでピアノ用にアレンジしてみようと思い立ったのかも。
「続きはまた今度でいいの?…あ、そういえば。確かキーボード買いたいんだっけ。この前だりあから聞いたけど」
口にしてからあれ、これって本人に言っちゃってよかったのかな。と思ったけど奥山くんは特に気にする風もなく素直に受け応えた。
「うん、まあ。ないよりはある方がいいかなって。…でも悩むよね、どのくらいの機能のモデルにしようかって。上を見ればきりがないし…」
口だけじゃなく、本気でちょっと悩んでるのがわかる。やっぱり必要なんだ、彼にはピアノが。
わたしはどう切り出そうか一瞬悩んだけど、結局思ったことをあれこれ捏ねくり回さずにそのまま問いかけてみることにした。
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