第20章 自分の足で外へ行く

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とりあえず、湖までは歩いていける距離なので一休みしたあと誰からともなく立ち上がって宿を出、そこを目指して歩く。 わたしがぼそっと突っ込んだ呟きを、隣を歩いてただりあが耳聡く聞きつけてすぐにフォローしてきた。 「でも、ご飯作らなくても出てくるし。何と言ってもお皿洗って片付けなくてもいいんだよ!最高じゃない、考えてみたら?」 そんな。どっかの主婦みたいなことを。 「それって、普通に外食するだけでも。全然充分叶えられるのでは…」 まあ少なくとも、箱根くんだりまでわざわざ赴かないとできないことではない。いや文句言いたいわけじゃない、こうして外を歩いてるだけでも何だか気分いいし空気は美味しいし。てか、いくら何でももっとあるだろってこと。他にも。 すぐ前を歩いてた奥山くんが振り向いて、穏やかな表情で柔らかく受け応えた。 「旅館のご飯ってやっぱり特別だよ。旅行に来たんだなぁって感じさせてくれるし。…それに、ほら。この景色は。東京じゃ見られないよ?」 「…お。見えてきた。あの辺から湖岸に行けそうじゃね?」 奥山くんが台詞の最後を口にしながら樹々の切れ目を指し示したのと、さらに前を行く越智が声を張り上げたのがほとんど同時だった。 「…わぁ!」 「そうそう。…こういうことが言いたかった」 越智の弾んだ表情と声につられてだりあとわたしも足取りを早める。 視界が開けた先にわっと広がる青々とした水面、濃い緑に染まった遠くの山並み。…夏の終わりの涼しい風がさあっと吹き抜けていくみたい。目に沁みるほど鮮やかで綺麗な眺め。 「木がいっぱい生えてて緑に溢れて田舎なのは同じようなもんなのにね。地元の山と何が違うんだろ?」 まだ出身地の感覚が抜け切れてないらしいだりあが感嘆した声で呟いた。いや、目の前の景色を褒めたいのはわかるけど。 「…まあ。地元の山は見慣れてるから。目新しさがなくて、ありがたみがないせいじゃないかな。あとここは、何ていうか。田舎とは言わないと思う。…何かって言えば。観光地、かなぁ…」 この辺りに住んでる人がいたとしても自分ちは田舎って思ってない気がする。『田舎』って表現していいのは本当に何もないとこで。観光資源が豊富な場所は普通田舎とは言わないんじゃないか。 「あと、視界がぱあっと開けてて。開放感があるから、印象が全然違うんじゃないか。うち辺はなんか山がぎちぎちに迫ってるし、どっちかと言えば。緑が圧倒的でもむしろ閉塞感強いかも」 わたしと反対側のだりあの隣に立った越智が気軽な口調で分析した。だりあはその言葉に何か感じ入るものがあったのかやけに深々と頷く。 「うん、わかる。閉塞感。…低い山が目の前にどんとあるからなのかな。ここは清々しくて。すごく、気分いい…」 わたしたちは四人とも、しばし言葉もなく目の前に広がる波打つ水面を見ていた。 思えばもともとはみんなして、ここからずっと離れた土地で生まれて育って。全員そのまま大人になって今でもあそこで暮らしててもおかしくなかったんだよな。 でも、それぞれが各自の事情で。あの町から出て来て、多分もう一生をそこで終えることはない。一時的に帰省したり一旦戻る選択肢はあっても、末永く地元で生きて最終的にそこで定着することはできないんじゃないかと思う。 中学にいた頃はこんな風に、この四人が揃って外の土地に出て行くことになるとは。まるで想像もしてなかった。 湖の上は風が通りやすいのか。さあっと吹いてきた爽やかな風が前髪をわっとかき上げる。陽射しはこの季節まだ強いけど、日陰に行こうよ。と何となく誰も言い出さずにもうしばらく風を浴びていたいような空気だ。 …わたし自身は漠然と、既に中学のときには将来この土地を出て行くんだろうな。と考えてたし、何となく親もこの子はここに居着かないだろうな。まあしょうがない、って考えてる雰囲気だった。 奥山くんちは本人はともかく、まずお母さんが絶対にこの子はこんな狭いところで終わらせない。広い世界に羽ばたいて行くんだ、って考えてる態度がはっきりしてたから。むしろもっと遠くに行くだろうとわたしは予想してた。海外とか。 まあ、これから先どうなるかはわからない。もしかしたらもう一度音楽に本格的に取り組むか何か別の分野で名を上げるか。 彼に関しては未知数な部分が多いけど、おそらくあの町に戻ってそこで生涯を終えることはなさそうだ。ご両親との関係も若干感情的にこじれて複雑ではありそうだし。 だからわたしたち二人が地元を出てるだろうってのは想像に難くなかった。絶対ばらばらになると思ってたから、こうして今隣にいるのはちょっと。不思議な気分ではあるが。 でも、越智とだりあはいかにも地元でそのまま大人になるタイプに見えてたから。この二人についてはやっぱり意外な結果かもしれない。 越智は地元生え抜きの友達と馴染んでずっと上手くやっていける性格に思えたし。それに不満や生きづらさを感じてるなんて傍から見ても想像もつかなかった。 わたしが外の世界に出て行くのに学力を使うって言ったら、真剣に考え込んでじゃあ自分も。と行動を起こしたときはへえ、こういうやつだったんだ。と見る目が変わった思いをしたもんだ。
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