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「とにかく、音楽を本気で嫌いになったんじゃなかったのならよかった。ああ見えて奥山くんは一本芯の通ったところがあるから。そのうち自分の力でやりたいことを見つけてここから自然と出て行くことになるでしょ。それまで悪いけど、だりあには。ここに引き留めることになっちゃって」
「ううん、全っ然。こっちこそあともう少し、よろしくお願いします。…けどさ、そうなると。意外にこの共同生活も終わりが近いかもしれないよ?」
寂しそうな顔をするでもなく、何故か一層とお目々きらきらになるのは何故なんだ。
次に嬉しそうに口から飛び出してきた言葉で、この子の意図してる狙いがわかった。…ああ、それね。
そういえばずいぶん前からずっと言ってたもんなぁ。と半分諦めの境地で片耳から反対側の耳へと、全部最後まで聞くまでもなく先のわかってる台詞をわたしは軽く聞き流した。
「だからさ、今のうち。…前に約束してた旅行に行こうよ、箱根で温泉。あれ、そういえば。わたしの就職決まったらお祝いにみんなで行くって話だったよね?そしたらまさに今でしょ。ってこと、なんじゃない?」
結局多数決の流れに負けた。
越智は言うまでもなく賛成派。そりゃそうだよな、好きな子と一緒にグループで泊まりがけの温泉旅行。全然、まったく渋る理由がない。むしろ積極的にわたしと奥山くんに同意を求めてきた。
「え、お前たち。当然木村の快挙を祝ってあげるんだよな?てかあのとき言ってたぞ、天ヶ原。資格取るのはゴールじゃない、きちんとしたところに職を見つけてこそだって。本当に祝うのはそのときでいいんだ、だから今は気を緩めないで旅行は我慢しとけ。ってさ」
まあ。…言った気はする。
「でも、実際に仕事通い始めたら時間がきついだろうから…。就職したばっかでまさか有給取るわけにもいかないし。学生のわたしたちとはそこは違うでしょ。まだ働き始めたばっかりで無理させて体調崩してもなんだから。もっと生活が落ち着いて、暮らしぶりに余裕が出てきてからでもいいんじゃない?」
と、今はとりあえず先送りさせて計画は有耶無耶になって結局自然消滅。って手を狙ってはみたのだが。
「え、わたしは全然大丈夫。むしろ今ならまだ教育期間中で残業ほとんどないし。完全週休二日制だから、土日は絶対空いてるよ。箱根だし、ぱっと行ってぱっと帰ってくれば。平日には全然差し支えないと思う」
イノセントな笑顔でけろっと言われた。…まあ。それはそうかも。
とにかくみんなで移動して、温泉入って旅館に泊まって翌朝わあわあ言いながら帰ってくれば気が済むんだろう。別に観光の予定をいっぱい入れる必要もない。
ただ楽しく友達と一緒に非日常を味わえればいいわけだから。そう面倒くさく考える必要もないか、と諦めて流れに任せることにした。別にわたしが主導して宿を決めたり日程を組んだりしなくてもよさそうだし。放っといてもそういうのはだりあと越智がはしゃいで浮き浮きで進めてるみたいだ。
「何だったら二人で行けばいいのに。ていうか、少なくとも越智の方はその方がもっと嬉しいだろうにな。だりあと旅行に行きたいだけなのに、二人きりでとか言い出せないから。わたしたちを巻き込もうとしてるだけなんじゃん?」
打ち合わせ、と称してうちに来て二人顔を突き合わせてきゃいきゃいしてるのを横目に隙を見てぼそっと奥山くんの前でこぼす。彼はちょっと困ったような表情を浮かべて、軽く首を傾げながら曖昧に呟いた。
「…まあ、それはゼロとは言えないけど。でもやっぱり、木村さんについては君とも一緒に行きたいってのも本当だと思うよ。それに二人ではこの先またいくらでも機会があるだろうと思うけど、みんなで行くチャンスは今後そうそうないかもしれないし…。もし将来あの二人が上手くいけばの話だけどね。このまま」
その口振りからは奥山くんも、既にだりあと越智がお互い意識して惹かれ合ってる状況をちゃんと把握してるんだって事実が察知された。
それはそれとして確かに、今は友達グループで賑やかに楽しみたいんだ。ってだりあが考えてるのは間違いない。越智と二人で行って来りゃいいだろ、って突き放すのは可哀想かな。それにまだ彼らがそこまではっきりしてない微妙な段階にあるのが現実だと思うし。そこはわたしたちも呑み込んで、気を回してやらなきゃならないんだ。やれやれ。
仕方ないなと肩をすくめつつも、その口振りから何となく奥山くん本人もそれなりに旅行を楽しみにしてるのかな。ってニュアンスをどことなく感じなくもなかった。
考えてみれば今回ために溜めてついに限界に達してフランスから逃げ出して来るまで、奥山くんの人生は物心ついて以来ほぼずっとピアノに捧げられていたわけで。
成長してからの暮らしぶりをわたしが知ってるわけじゃないが、高校以降も友達と心置きなく賑やかに盛り上がって温泉でリラックスするなんて機会そうそうなかったんだろうな。ってことは概ね想像がつく気がする。
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