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二股の道を右手にとった二人は緩やかな上り坂を進んだ。
わずかな休息で握り飯を口にしただけだが、足取りは先ほどまでより断然軽い。
坂道の両側にも棚田が広がっており、いつの時代に築かれたものかおびただしい石垣の段が景観を成している。
幾世代にもわたって石を運び、積み、田を起こし、気の遠くなるような歳月をかけて米を育ててきたのだ。
「しっかし、まあ……。どこもまるでお大名じゃねえか」
草介が思わず嘆息したのは、水田の端々の山際に建つ百姓家の見事さだ。
傾斜地に石垣で設けた平場に築かれたそれらは、いずれも実に立派な造りをしている。江戸ではかつての御家人ですら長屋住まいが珍しくなかったこととは雲泥の差だ。
「大庄屋ともなると大名に勝る力を持つ者もおったのでな。いつの世も、食い物を作り出せる者こそがもっとも強いのだな」
軽々と坂をゆく隼人が、草介の驚きを受けて応える。
「庄屋ってえのはおいらたちでいう名主のことかい」
「さよう。米だけではなく土地によっては藍や生糸、油や酒、さまざまなものを作っておるな。苗字帯刀を許された者もおったゆえ、もはや士分に近い扱いの国も少なくなかった」
草介と隼人がこれから訪ねるのは、さる藩の家老の奥方だ。
戊辰の戦で旧幕府側につくことを選んだその国は、藩士らの妻子を可能な限り縁故のある他国へと退避させており、そのうちの一つがこの紀伊北部の山村だった。
その家老は会津で討ち死にしたと伝えられ、最期の出陣前に妻に向けた文をしたためたのだ。
しかし維新の動乱がそれを運ぶことを妨げ、いまようやく草介と隼人の手で届けられようとしている。
美事な棚田と百姓家を横目に、二人は坂を上り切った。
その眼前には立派な門と塀が設けられ、奥には大きな茅葺の母屋と幾棟もの建屋がそびえている。
門の手前は塀沿いに道となっており、左右は竹藪になってよく見えないがこの村全体に通じているのであろう。
紛うことなき、この地の大庄屋の屋敷だ。
門は開け放たれており、そこかしこで人が立ち働く気配が伝わってくる。
二人は天秤棒の荷物を置き、汗を拭って制服の着装を整える。顔が見えるよう韮山笠の眉庇もくいっと上げた。
こほん、と咳払いをした草介が朗々と奥に向けて呼びかける。
「案内申ーう、案内申ーう」
少々芝居がかっていると、草介はそう思わないでもない。
だが隼人がもつ古式の礼へのこだわりを今ではむしろ好もしくすら感じているものの、まだ口に出して言ったことはない。
門内から返事があり、女が応対に出てきた。
野良仕事に用いる質素な出で立ちは農民と変わらないが、その立ち居振る舞いや訪問者を射抜く眼光は只者ではない。武家に仕える身であったことをうかがえる隙のなさを感じられる。
またふところの膨らみから、おそらく懐剣を帯びているのだろう。
「駅逓寮、御留郵便御用でござる。奥方様に文をお届けに参った次第にて……」
隼人が口上を述べ出したその時、道向こう左右の竹藪が揺れて、男たちが躍り出てきた。
右から二人、左からも二人。咄嗟に振り返ると、草介と隼人が上ってきた坂道を塞ぐようにさらに二人がこちらへと向かっている。
庄屋屋敷に向けて丁の字になった道の、すべての方向が封鎖された格好だ。
計六人の男たちは粗末な着流しや色の褪せた洋装で、いずれも険のある目をぎらつかせ何人かは長い包みを手に大股で近付いてきていた。
それを見て顔色を変えたのは、屋敷から応対に出た女だった。踵を返すと素早く門扉を閉ざし、駆けていく足音とともに「出合え!」と奥に向けて叫ぶ声が聞こえた。
「草介、動くな」
隼人が小声で草介を制し、素早く左右と後ろを見回す。
すっと腰を落として天秤棒の振り分け荷物に手を伸ばそうとした時、機先を制するように洋装の男が大音声を発した。
「郵便御用、苦労である」
それと同時に男たちは小走りに詰め寄り、隼人と草介は屋敷の門を背に半円形に取り囲まれた。
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