序章 あたらしい生活 ④うちに来いよ

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序章 あたらしい生活 ④うちに来いよ

 祠というからには小規模な洞窟のようなものを想像していた。  が、予想は軽く裏切られた。 「どうぞ。こちらです」 「へえぇ」  ――ガチャッ。キイィ。  館の一階に降り、正面入口から見てまっすぐ奥にあった扉が開けられた。  先導をしてくれるコリスの手にはシンプルな一本の鍵。それをエプロンのポケットにストン、と落とすと、慣れた様子で壁に掛かったカンテラを取る。  窓はない。一直線に通路が伸びている。暗いがアーチ型の天井は高く、背後の扉も開けたままなので閉塞感はなかった。  きょろきょろと視線をやれば、カンテラのなかで揺れる火明かりが、コリスの歩調に合わせて左右に並ぶ柱の影を順に浮かばせている。  柱の太さはちょっとした木の幹ほど。  それで、まるでここが林のように感じられた。  黙り込んでいると、くすり、と笑む気配がする。 「どうです? けっこう立派でしょう」 「え? あ、うん」 「いちおう長の代替わりのときに使われる、秘密の襲名式の場ですからね」 「秘密…………えっ。襲名? そんな大事な?」 「はい」 「そうだったんだ。いいのかな、おれなんかが入って」  まずい。  旅先のうらびれた酒場で、やけに意気投合した獣人男性から、無遠慮に背中をばんばん叩かれながら依頼された内容のわりには、事案(こと)はひどくデリケートだった。    ◆◇◆ 『おう! しみったれてんなぁ兄ちゃん。どうした迷子か』 『へ?? 迷ってませんよ。行き先が特にないだけで』  ――――――――  当時は、囲われた正規の法術士生活まで秒読み態勢だった。  実習と称する国境沿いの砦建設をこなしたあと、機を見てとんずらした。  各地で簡単な仕事をこなしながらの逃亡生活は思ったよりも性分に合っており、変装が完璧すぎたこともあって追手は一度も掠らなかった。  そうしてニ年。  ふらりと立ち戻った故国の端っこの港町で、ちょっとした郷愁を覚えてしまった。それが、思いのほか顔に出ていたのかもしれない。  カウンター席で懐かしい味の大衆料理を肴に、ちびちびと飲んでいただけなのに、やたらと騒々しい男に隣に座られた。  男はザイダルと名乗った。 『行き先? 兄ちゃん、家は』 『旅暮らしなもので』 『仕事は? 魔物狩り(ハンター)には見えねぇが』 『うーん。何でも屋かな。占いの真似ごとから手紙の代筆、芸人一座の楽人代理まで適当に。見てのとおり、荒事はむりだけど』 『だろうなぁ』  ザイダルは納得の表情で、ひとをじろじろと眺めた。  そういう彼は、体格に似合いの大剣を背負っていた。  日に焼けた顔は目尻にやや(しわ)がある。  麦芽酒のジョッキを傾ける仕草は豪快そのものなのに、黒っぽい短髪の上部にちょこんと生えた熊耳は愛らしいという反則。  おじさん✕熊。しかも人懐っこい…………戦士?? (このひとこそ、何を仕事にしてんだか)  本当に、けったいな出会いだった。  だからだろうか。うっかり潜りの法術士だと話してしまい、特産のエビとカブの煮物をつまみつつ、ほろ酔いで歓談した。内容は、おおむね世間話だったのだが。  「じゃあ、うちに来いよ」と、ごく自然に誘われた。  ――獣人の谷の“祠”。そこに行け。知らせなら出しとく。()()()()向けの仕事があるから、と。  そこで、背を叩かれた。    ◆◇◆  ザイダルとはその夜に別れた。  騙されていない保証はなかった。  が、どうせ目的もないことだし現在は契約の仕事もない。  街道沿いをのんびりと移動し、谷には一ヶ月弱でたどり着いた。  ……コリスといいザイダルといい、獣人のひと達はみんな、こうなんだろうか。  他種族ながら、ちょっと心配になる大らかさだった。 「いいんですよ! だって、シオンさんですもん! 長の目は確かです」 「そ、そう?」  目一杯力拳をつくられ、大きな瞳をらんらんと輝かせられては強くも言えない。  やがて、くだんの祠堂の前で足を止めた。 「……」 「…………」  スッスッと、手で指し示された片開きの扉に鍵はない。開けろということらしい。  シオンは意を決してドアノブに手をかけた。
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