銀の指輪 ~ 成瀬 side

2/7
前へ
/15ページ
次へ
「この顔を見て『老けた』と思っただろうな……」  そう…… 鏡に写った50歳の自分は目尻や口角が下がり、皮膚の張りもなくなり、白髪も多くなった。つい最近、合わない老眼鏡を持ち上げて目を細める姿を見られたし、立ち上がる際に「よいしょ」と言ったら二ヤリとされた。その上、高齢者ばかりの過疎地で仕事しかしてこなかったせいで自分磨きを怠り、髪型や服装、持ち物にも無頓着になって…… と、今の有様に閉口した成瀬は、そそくさと鏡から目を晒して浴室を出た。  髪を拭きながら冷蔵庫を開けてノンアルコールビールを取り出す。そして、テーブルに腰掛けるとプルタブを上げて一気にあおる。いつもなら、これが一日の疲れをとる特効薬になるのだが、今日は腹ばかり膨れて全部飲み干すことが出来なかった。  成瀬は飲み残したビールを流しに捨てながら『なぜここまで気にする?』と自問した。  そりゃあ、生まれて初めて愛した人と再会し仕事をすることになれば意識せざるを得ない。それに加えて、築き上げてきたキャリアを捨てた理由とか、赴任先に過疎の診療所を選んだ訳とか、妻を同伴しなかったことか、とにかく謎が多かった。  成瀬は記憶の片隅から一人の女性が浮かび上がらせた。  松岡に秘密が知れた時、真の気持ちを分かってもらうために彼の自宅前で待ち伏せしたことがあったが、玄関ドアの隙間から垣間見た彼女は背が高くて凛とした佇まいをしていた。そして、その腕に乳飲み子を抱えていて……  松岡の話だと彼らは政略結婚で、年月を重ねても打ち解けることが出来なかったという。そんな夫婦仲の悪さに松岡の浮気癖(彼は会員制のゲイクラブに足を運んでいた上、自分とも不倫していた)が加わり、恐らくそれで離婚。そして、単身移住――― などと勝手に想像した成瀬は、妄想の猛々しさに苦笑しながら夕食の準備にとりかかり、全てが整うと机の上からフォトスタンドを持ってきて「いただきます」と手を合わせた。  成瀬の夕食風景を眺める写真の男は、死んだ恋人。上京して再就職した病院で知り合った理学療法士で、首にぶら下げた指輪の持ち主だ。彼の死後、こうして写真を相手に食事するのが習慣になっていて、一人暮らしが寂しい成瀬は物言わぬ写真に語りかけるのが癖になっていた。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!

61人が本棚に入れています
本棚に追加