銀の指輪 ~ 成瀬 side

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「あの年で離婚は寂しいけど、浮気が原因なら自業自得だよな」  朝の残りの味噌汁を啜りながら投げやりに呟く。 「もし、ここに移住したきっかけがそうなら、どういうつもりだったんだろう。奥さんへの当てつけ? それとも腹いせ?」  箸先が里芋の煮っころがしを捉えて口へ放り込む。この食事、米飯と汁物は自分で用意したが、おかずは近所からのお裾分け。毎日、誰かが診療所に持って来てくれるのを有り難く頂戴している。 「そんな動機で過疎地の診療所へ来たら、後々後悔しそうだけど」  実際そうなのだ。これまで何人かの医者か やって来たが長くは続かない。24時間365日束縛される生活に根を上げるから。 「だけど、辞められちゃ困るから精いっぱいフォローしないと。この村のためにも」  そう言ったあと、成瀬は自分が上から目線であることに気がついた。そう、ここではこっちが先輩。仕事にも環境にも慣れていない松岡を手助けしていかなければならないのだが、無意識に彼を見下していたことにハッとする。  箸を止めて宙を見上げる成瀬。  こんなこと、20年前にはありえなかった。彼は愛する人であると同時に尊敬すべき同僚だった。温和で人当たりが良く、医師としての評価も高くて患者やスタッフから信頼されていたから…… ――― 浮気して離婚させられたと決めつけて、ここへ来たのも妻への意趣返しだと邪推して  彼を悪者に仕立て上げるのは、彼へ気持ちが動くことを牽制するためじゃないかと気づいた成瀬は全身が総毛立ち、ネックレスに下がっているリングにそっと触れた。これは気持ちを落ち着かせる為の癖で、成瀬は写真に向かってこう呟いていた。 「ただ懐かしく思っただけ。気持ちが再燃するなんてありえない」  最愛の人がこの世を去って7年が経過したが、心はあの時に残したまま。共に喜び笑い合い、悲しみ泣き合った思い出は幾年月流れようが消えることはないし、まして新たな恋愛なんて…… と、首を振った成瀬は箸を置くと茶碗を重ねて流しに運び、それを洗っている間も死んだ者に操を立てる理由をあげつらっていたのだが、行きつく先はやはり松岡への愚痴だった。  こっちは接し方に頭を悩ませ、それを悟られぬよう平然を装い、家に帰ってからも彼のことばかり考えているというのに、当の本人は昔の知人の立ち位置で涼し気な顔で接してくるからモヤモヤして――― つまり、毎日松岡に振り回されっぱなしなのである。 ――― あっけらかんと接することが出来ればいいけれど、性格的にそれは無理。だから、この過剰な意識が時間とともに薄れるのを待つしかない  そんなことを考えながら干しっぱなしの洗濯物を片付けていたら、電話の呼び出し音が鳴り出して振り返る。今頃だれ? と、携帯を手に取り表示を見れば【松岡先生】の文字に心拍数が跳ね上がった。
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