銀の指輪 ~ 成瀬 side

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◇◇◇◇◇  暖かな陽光が降り注ぐ昼下がり。  午前の業務を早めに終わらせた成瀬は外へ出た。今から行われる花見の準備をするためで、駐車場の隅にある桜の木には既に人が集まっている。  急いで駆け寄ると、馴染みの女性が皺だらけの顔に笑みを浮かべてこう言った。 「走って来んでもよかったのに」 「シートを敷くの手伝います」 「じゃあ、頼んますね」  ブルーシートを受け取った成瀬は2人がかりで広げた。そして、飛ばされぬよう杭を打ち込むと座布団を並べ、真ん中に持ち寄り弁当を置いた。重箱は全部で6個。持ち上げると どれもズシリと重たくて、腹の虫が忙し気に鳴り出す。  ここへ移住して村人たちの食生活に触れると、その食材の新鮮さ、バリエーションの多さ、そして優しい味付けにすっかり虜になった。歳を取ったせいだろうか。若い頃は外食が多く「今日はこの店、明日はここ」と食べ歩くことに楽しみや刺激を見出していたのに、今ではそんな欲求が無くなった。大概の贅沢を味わい尽くしたせいもあるが、心のこもった家庭料理に勝るものがないことに気づいたからである。  準備が整い「先生ば呼んできて」と促されて立ち上がろうとしたら「もう来ちゃった」と背後から声が。数メートル先に白衣を脱いだ松岡がこちらへやってくるところで、昨晩弱音を吐いた唇には笑みを浮かべていた。 「もう来なさった!」と、女性陣が手招きして松岡をシートに上がらせ座布団を勧める。そして、おしぼりを渡して手を拭かせているあいだ、次々と重箱を開けていく。 「こりゃ凄い」と感嘆の声を漏らす松岡に誇らしげな表情で答える女性達。6つの重箱はまるで花が咲いたような豪華さで、松岡の就任を祝っているかのようである。 「こんな旨そうな花見弁当は初めてです」 「田舎料理ですけん、先生の口に合いますかどうか」 「いえいえ、心のこもった手料理をいただけて有り難い限りです」  それがお世辞ではなく本心から発せられた言葉であることに成瀬は気がついた。なぜなら、松岡の瞳が若干潤んでいたから。  しかし、泣くほど感激している姿に老いの兆しを感じて物悲しくなってきた。不慣れな生活が続いて精神的に参っているのもあるが、年を取って涙腺も脆くなったんだろう。自分もだが彼も老けた…… そう思った成瀬は会わなかった年月の長さを身に染みて感じた。  全ての準備が整うと、乾杯の音頭を任された松岡が紙コップを掲げた。 「今日はこのような豪勢な花見を催していただきありがとうございます。ここへ来て2週間。初心にかえって頑張っていますが、皆様のお力添えがないと診療所の運営もままなりません。これからも何卒宜しくお願いします」 「それでは、乾杯!」と合わせたコップに入っているのは緑茶だった。ノンアルコールビールを勧められた松岡が「まだ仕事中なので」と断ったからだ。  花見が始めると、新任のドクターの謎を解き明かしたい女性たちの質問が始まった。  松岡は「少しは慣れたか?」という問いかけに首を横に振り、この2週間で感じたことを語り始めたので成瀬は思わず身を乗り出して聞いた。  彼曰く「これまでは専門である感染症の患者を問診や視診、そして検査データーをもとに診断を下して治療してきたが、ここではより一層五感を研ぎ澄まして患者を診なければならならない、すなわち医療の原点に返った診療が必要だ」と語った。  確かに、この診療所には最新の機器など揃っておらず、これまで蓄積した経験を頼りに正確な診断と迅速な治療が必要になってくる。そのことを謙虚に受け止め実践しようとする姿に成瀬は感心した。  そんな彼の心がけは女性陣にも伝わったようで「今は皆 様子見していますけど、頼られ信頼される日も もうじきですよ。ねえ、ひかる先生?」と同意を求めてきた。  成瀬はこの『ひかる先生』の呼び名に抵抗を感じていた。  前任のドクターの場合、彼自身そう呼んでからかっていたため『仕方ない』と諦めていたが、松岡だとそういうわけにはいかない。新任の医師に疑心暗鬼の村人が看護師目当てで診療所へやって来ることに恐らく気づいている。 「僕もそうでしたが、一旦心を開いてくれると親戚の様に気さくに応じてくださいます。そう、ここにいる皆さんのように。だから、心配されなくても大丈夫です。それから津原さん、その『ひかる先生』っていうの止めてくださいよ。僕は看護師であってドクターではないんだから」  だが、それに対して「みんな、君が優秀だからそう呼ぶんだよ。でしょう?」と松岡が返してくる。その口調に嫌みは感じられなかったけれど、不快な気持ちにさせたんじゃないかと焦った成瀬が『そんなことは無い』と反論しようとした矢先、一人の女性がこんな質問をしてきたので唖然となった。 「そういや、あなたがたは昔一緒に働いたことがあったとでしょう? どうでしたか、久しぶりの再会は?」  この問いかけに顔を見合わせる二人。どちらが答えるか視線で探り合っていたけれど松岡が何も言わないので成瀬が仕方なく答えた。 「そりゃあ驚きましたよ。まさかこんな所でお会いするなんて思わなかったから。でも、先生で良かった。仕事ぶりは良く知っているので安心できるし…… って、上から目線でスミマセン」 「松岡先生、成瀬さんの若い頃ってどんな感じだったんですかい?」  この質問に成瀬の心がざわついた。果たして、彼は何と答えるのだろう? 「当時、男性の看護師は少なかったんですが仕事ができるから皆から頼りにされていましたよ。それは今でも変わっていませんね」
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