銀の指輪 ~ 成瀬 side

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 昼休みの終了時間が近づき、花見もお開きになった。  新体制になった診療所と近所の女性たちの交流は上手くいき、話し足りないとばかりに片付けの合間も口を動かす。  松岡のコミュニケーション力の高さは今も健全で、70前後の女性らをマダムのように扱い心を掴む姿に、成瀬は『筋金入りの人たらしだ』と恐れ入った。彼は決して媚びやおべっかを使っているわけではない。なのに、相手の内面にスッと入り込み気持ちを汲み取る技は重要無形文化財級だと言っても過言ではなかった。  そんな松岡が真面目な話をし始めた。それは過疎化に悩む村の展望についてで、各々がどのように感じているのか尋ねると「観光資源を開発して地域振興を図ろうとしているところだが、財源不足で思うように進まない」と、皆口を揃える。  でも、だからといって村は手をこまねいてばかりというわけではなかった。先日、成瀬が村議会を傍聴したところ、民間企業とのコラボやメディアやインターネットを活用して農林業のブランド化を進めてみては? という意見が挙がって前に進もうという気合が感じられたから。  もしかしたら、松岡は職務柄、企業やメディアにコネがあるかもしれず、もしそうなら村の立て直しに一役買ってくれるかも…… と勝手な期待に胸を膨らませた時である。女性の一人が成瀬に話を振ってきた。 「そういえば、このまえ『温泉に行く』って言いよったけど、どんなところでしたか? 観光客は多かったですか? 地域が力を入れている特産品とかありましたか?」  そう、自分は松岡が赴任してくる前に休暇を取って温泉旅行へ行ってきた。四千坪の敷地に十棟の客室しかない豪勢な宿で、各部屋に露天風呂がついていて…… などと思い返していたら、頭の中で『ちょっと待ったぁぁっ!』と叫び声が上がった。  そこは松岡と付き合っていた時、お忍びで行った場所。再びそこへ訪れたと知れたら厄介なことになる。自分は亡くなった恋人の父親の喜ぶ顔が見たくて連れて行っただけなのに、事情を知らない松岡は『自分との恋愛を懐かしむ為に行った』と勘違いするだろう。そんなことになったら面倒くさいので行先がバレぬよう取り繕うとしたのに、いきなりメガトン級の爆弾が落ちてきた。もう一人の女性が取り返しのつかないことをしゃべり始めたのである。 「『S温泉に行って来た』って言いよったですよね。竹林の中にある旅館で『かぐや姫が出て来そうな雰囲気』だったそうじゃなかですか」  松岡に何もかも知られてしまった成瀬は肩を震わせた。勘違いされぬようにしなければと思えば思うほど頭が真っ白に。しかし、このままというわけにもいかず口をカラカラにさせながら言葉を捻り出した。 「昔行ったら凄く良かったんで、池田のお父さんを連れて行ったんです。とても喜んでくれて少しは恩返しができたんじゃないかと思います。あそこも山に囲まれた田舎ですが、温泉という観光資源があるので町は潤っている感じでしたよ」  世話になった人と旅行に行ったことを強調し、その後「他の自治体ではマーケティングに強い人材を一般公募して改革に取り組んでいるところもあるようです」などと うんちくを垂れて話題を逸らそうと試みたが、視界に入った松岡の顔は明らかにニヤけていて…… ――― 俺、どうしたらいい!?  患者の急変には慣れているが自分のピンチにめっぽう弱い成瀬は、手にした重箱を落として蓋を真っ二つに割る失態を犯したのだった。 ――― end
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