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◇◇◇◇◇
麗かな春の日差しのもと、午前の診察が ひと段落付いた松岡は診療所の出入り口に立って伸びをした。
広さばかりが目に付く駐車場の片隅に、樹齢50年の桜の木が両手を伸ばして薄紅色の花を咲かせている。ここ数日の間に5月上旬の温かさが続いたため一気に開花し、今が見ごろ。明日になれば花びらが散り始めると危惧しての今日の花見となったが、それが正解だったな…… と、松岡はブルーシートを敷いている女性陣と成瀬を眺めながら思った。
女性陣とは、発起人の津原と近くに住む仲良し3人組。今日は成瀬との親睦が目的だったのに、こんなにギャラリーが多いと突っ込んだ話が聞けないじゃないか……と、言い出しっぺの裏切りに苦笑しつつ砂利を踏みしめ歩き出す。
昨晩遅く、松岡は花見の件を話すため成瀬に連絡を取った。
成瀬は突然の電話に受話口の向こう側で困惑した雰囲気を漂わせていたが、用件を聞くと二つ返事で了解した。
ものの数十秒で用件が済み、このまま電話を切ってしまうのがそっけないと感じた松岡は話題をどうにか捻り出した。
「今日は助かったよ、君の説得で伊藤さんが公立病院への受診を承諾してくれたから。自分一人じゃとても無理だった」
『これまで薬と食事療法でコントロールしてきましたけど、糖尿病性腎症が悪化して どうしても透析が必要になりましたからね。そこを理解してもらえて良かったです。でも……』
「でも?」
『息子さんが同居を受け入れてくださるかどうか……』
「1回5時間の透析を週3回受けないといけないから、ここに住み続けるのは難しいもんな」
『多分、それができないと思ったから受診を拒否されたんでしょう。次回、息子さんとの面談の際 それとなく聞いてみます。あと、公的な介護サービスが受けられることも説明して』
「そうしてもらえると助かる。成瀬君、いつもフォローしてもらってごめんね」
『とんでもない。大したことはしてません』
「君のおかげで診療所の運営ができている。本当に感謝しているよ」
『先生も大変ですよね、仕事も環境も一変して』
「覚悟して来たつもりだったけど、甘かったと痛感しているんだ……」
そう言った後、成瀬から突っ込んだ質問――― 例えば、ここへ来た理由などを聞かれるかと身構えていたが、返ってきた返事はこうだった。
『僕で良ければ何でも力になります。あっ、そういえば、明日は何を準備したらいいんでしょう?』
「あした?」
『花見のことです』
「ああ……、別に何も。津原さんが3人分のお弁当を作ってくれるそうだから手ぶらでいい」
『嬉しいな。じゃあ、おやすみなさい』
成瀬はさっさと話を終えて電話を切った。
松岡はスマホを手にしたまま動けずにいた。彼は自分に興味を持っていない。むしろ、関わりたくないと思っていると感じて肩を落としていた。
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