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持ち寄り弁当も底をつき、そろそろお開きという頃、松岡はこの村の展望について尋ねてみた。
彼女らは、村人のほとんどが農業・林業で生計を立てているが後継者不足が悩みの種だと口を揃える。このままでは衰退の一途を辿るばかりなので、観光資源を開発して地域振興を図ろうとしているところだと言うのだが……
「大河ドラマを誘致できるような歴史上の人物はおらんし」
「道の駅を造ろうにも道路が整っていないし」
「温泉でもあればいいけど、調査代とか建設費とか維持費に金がかかかるし。もう無い無いづくしで笑うしかなか」
そう言って互いの顔を見合わせてケラケラ笑った後、そのうちの一人が成瀬に視線を向けた。
「そういや、このまえ珍しく休みを取ったでしょう? 確か『温泉に行く』って言いよったけど、どんなところでしたか? 観光客は多かったですか?」
温泉行ったんだ…… と松岡が成瀬を見やれば、どういうわけか顔色が変わって言葉を詰まらせている。すると、彼の代わりとばかりにお手伝いの津原が口を挟んできた。
「『S温泉に行って来た』って言ってましたよね。竹林の中にある旅館で『かぐや姫が出て来そうな雰囲気』だったそうじゃないですか」
――― S温泉の竹林に囲まれた旅館だって……!?
思い当たる節があった松岡は思わず元恋人の顔を凝視したが、当の本人はその視線を避けるように下を向いたまま微動だにしない。
そこは、二人が初めての旅行で泊まった場所だった。出産を終えた妻が里帰りから戻って来て ゆっくり逢う時間が無くなったため、出張に同行させたのだ。
彼は、旅館の幽玄な佇まいや趣向を凝らした料理、とろりと肌にまとわりつく温泉に感激し、ベッドではこれまで以上の痴態を見せてくれた。
だが、帰って来た数日後、ひた隠しにしていた秘密が発覚し、この恋は儚く終わってしまった。『復讐のために近づいたけれど、それが恋慕に変わった』と必死に訴える成瀬を容赦なく切り捨てた自分は、転勤を機に彼の前から立ち去った。なので……
――― あの時のことは忌まわしい過去として消し去りたかったんじゃないのか?
しかし、そうではなかったことが分かって嬉しさが込み上げた松岡は このニヤけた顔をどうにかしなければと奥歯を噛みしめた。だけど、本当は尋ねたかったのだ。二十年ぶりに訪れて何を感じた? 俺のことを思い出してくれた? どうしているかと一瞬でも考えた?
勿論、ギャラリーのいる前で聞く気はないが、例え二人っきりになっても そんなことを面と向かって尋ねるほど野暮じゃない。そう、聞かなくても分かりきったこと。彼は自分との恋愛を懐かしんでいた――― そう違いないのである。
だが、焼けぼっくいに火をつかせるのに焦りは禁物だと考えた松岡は自身にこう言い聞かせた。
――― 彼と過ごす時間はこれから山ほどある。だから、焦らず時間をかけて彼からアクションを起こさせるよう仕向けて行こう
相変わらず下を向いたまま唇を噛み締めている元恋人の顔を見つめながら、そんな誓いを立てた松岡なのであった。
松岡side ⋅⋅⋅⋅⋅⋅ end
次回は、成瀬side をお届けします。
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