銀の指輪 ~ 成瀬 side

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銀の指輪 ~ 成瀬 side

 爽やかな日差しが窓から差し込む午前中の診察室。  成瀬が患者の処置をしていた時、松岡の視線が首元に注がれていることに気づいた。   そこに下がっているのは、恋人の形見の指輪。  今から十年前、彼が予後の悪い病気にかかっているとわかった時に揃いでつけるようになったもので、闘病ののち帰らぬ人となった日、冷たくなった指から抜き取り自分のものと 着け替えた。それ以後、肌身離さずにいるのだが……  慌てて胸元を押さえたけれど、時すでに遅し。察しのいい彼のこと、この指輪が特別の意味を持っていることに気づいたのでは? と胸をざわつかせたが、我に返ってこう思った。 ――― 知られても構わないじゃないか  もし、松岡に尋ねられたら堂々と説明すればいい。 『大切な人の形見です。彼の存在をいつも感じたくて身に着けているんです』と……  しかし、実際は見て見ぬふりをされ、自意識過剰だったと恥じ入る始末。『ああ、自分も愛人の一人にすぎなかった』と、驚きと困惑の再会に、憎らしさと口惜しさが加味されるという、なんとも複雑な感情に支配される羽目になった。  しかし、これからは二人で診療所を運営していかなければならない。苦手意識を持って仕事がしづらくなったら村民に迷惑がかかる。なので、個人の感情はさておき協力していかなければならないと思い直すと、これまで以上に精を出した。  まず、松岡が一日でも早く業務に慣れるよう一から十まで気を配った。たとえば、物品の位置やレントゲン ⋅ 血液検査等の機器の操作、在庫する医薬品の種類、患者の情報提供など診療のフォローをする一方で、患者には新任したての医師への不安や懐疑心を解きほぐす配慮――― といった具合に。  今日も「包帯を巻くのが苦手」と話す松岡に代わって包交を行ったのだが、患者が帰った後、手を洗いながら松岡がこんなことを言った。 「外傷の縫合なんて何年ぶりだろう。手の震えを悟られないようにするのが大変だった」 「そんな風には見えませんでしたけど」 「今度、こんにゃくでも買ってきて練習しよう」  そう言って屈託なく笑う顔が20年前と重なって、心ならずも動揺した。  目の前にいる元恋人は、髪に白いものが混ざり、目尻に皺が刻まれ、体躯も貫禄がついて会わなかった年月を感じさせた。それは診察する様子にも現れていて、椅子に座って患者の訴えに耳を傾ける佇まいには風格と威厳が漂い、村民たちが一様に緊張するのが見て取れた。  そんな姿に『さすが公立病院の副院長になっただけある』と感心する一方、ふとした瞬間に――― 例えば、診察の合間の冗談だったリ、癖だったり、筆跡などに過去の面影を見出すと今まで封印していた思い出が呼び起こされて心が乱されることが多くなった成瀬は、帰宅後 浴室の鏡に映った顔を見つめて ぼやいていた。 「この顔を見て『老けた』と思っただろうな」
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