銀の指輪 ~ 松岡 side

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銀の指輪 ~ 松岡 side

 松岡の視線がある物を捉える。それは成瀬の首元から覗くネックレス。そこに垂れ下がっていたのがシンプルな銀のリングだったので、松岡は思わず目を見開いた。 ――― コイツ、結婚していたのか!?  ここへ赴任して1週間が経った。が、成瀬 光(なるせ ひかる)とは当たり障りのない会話しかしていなかった。自分と別れた後、どこで暮らしていたのか? 仕事は? どうしてこんな僻地の診療所で働くようになったのか…… 等々、聞きたいことは山ほどあったのに口に出せずにいた。  もし尋ねたら、こちらの事情も話さなければならならなくなる。「浮気ばかりしていたら妻に出ていかれた」なんてカッコ悪い話を再会して間もない元恋人に告白するなんて気が進まないのだが、実際そんな雑談をするような暇が成瀬には無かった。不慣れな新米医師(つまり自分のこと)のフォローに骨を折り、世間話をしに来る村人の相手をし、診察室の雑用をこなし、訪問看護のため村中を駆けまわり、時間の合間を縫ってどこかの大学の研究室に提供する資料を作成したりと多忙を極めていたから……  初出勤の日、彼は「その節は大変ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げてきた。以後、話しかければ穏やかに受け答えをし、仕事に関しては十二分過ぎるほど手助けしてくれるけれど、そこには恋人同士だったという過去は封印され、まるで初対面の様な ぎこちなさだ。  そりゃあ、付き合っていたのは今から20年前。しかも期間は半年。だけどその間、燃え盛る焔のように愛し合ったことは彼も覚えているはずなのに、これまでの態度だと復讐相手と恋に落ち、それが露見して捨てられた事実は人生の汚点として闇に葬り去ったと思わざるを得なくて――― なんてことを白衣の隙間から見え隠れしている銀の指輪を眺めながら考えていたら、顔を上げた成瀬と目が合った。  今は処置の真っ最中。農作業のさなか鎌で指を負傷した患者の包交をしていた彼は、松岡の視線がある1点に注がれていることに気づくや否や、左手でサッと胸元を押さえた。   この態度でそれが結婚指輪だと確信した松岡は、隠した理由を考えた。  かつての恋人に異性と結婚したことを知られるのが気まずいのか? と勘ぐってみたけど腑に落ちない。何故なら、彼には家族がいなかった。診療所からさほど遠くない場所にある農家の離れを借りて一人暮らしをしているのだから。  ならば、単身赴任中? 首からぶら下げているのは清潔保持の為? などと憶測したけれど何故かしっくりこなくて、松岡は謎を解明すべく行動を起した。自分の身の回りの世話をするため村から派遣された女性に尋ねてみたのだ。 「ねえ、津原(つはら)さん。看護師の成瀬さんって村の人じゃありませんよね? なら、どうしてここへ来たのか知ってます?」  すると、台所で夕飯の準備をしていた女性が振り向きざまに 「先生と同じで募集を見てですよ」 「だろうけど」 「先生は谷あいの集落に住んでいる池田のじいさんはご存知で?」 「まだ会ったことはないね。カルテでしか面識がない」 「あの人の知り合いなんです。確か、息子さんの同僚だったとか」 「そうなんだ。で、その息子さんは?」 「数年前に亡くなられました、まだ40代の若さで」 【息子・同僚・亡くなった】というキーワードを得て背景がおぼろげながらも掴めてきた松岡は、最終確認の為にこの質問をぶつけてみた。 「成瀬さんって結婚は?」 「前に聞いたら、笑って誤魔化されました」  そして、彼女は声を潜めてこう言った。 「先生だから教えますけど、成瀬さんって【おとこおんな】なんですよ」
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