三、ひとり

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 長い休みが明けてみんなが始業式を迎える日、私は息苦しかった時間からようやく息ができるように解放された。そして麻衣ちゃんがまた学校のお便りを持って私の家に訪れるようになる。  麻衣ちゃんは店の裏側にある玄関のチャイムを押して、私の家から誰も出て来なければお便りが入った封筒をポストに投函して帰っていく。  週末になって夕方が近付くと、麻衣ちゃんがそろそろお便りを届けに来る時間帯だと思って、私はソワソワした。  玄関から封筒が差し込まれる音がしてから、私は自分の部屋の窓からそっと外を覗く。家の敷地を後にする麻衣ちゃんの後ろ姿が見えた。  小学校生活ももうじき終わろうとしていた冬のある日のことだった。  一度、いつものように学校のお便りを届けに来てくれた麻衣ちゃんと、たまたま家の前にいた私が偶然うっかり会ってしまったことがあった。  昨夜から降り続いた雪が積もりに積もって、そこに冷たい風が吹き付けていたから、全く足音や気配に気付けなかった。 「――モモちゃん」  吐息が白くしながら、昔と変わらない呼び名で私を呼んでくれた。懐かしいのとちょっと嬉しくて、照れ臭くなる。  彼女のトレードマークである三つ編みのお下げも変わらない。  昔から思っていたけど、一つ一つの編み目がしっかりとしめ縄みたいにいつも綺麗に結ってある。新しいお母さんが編んでくれたのかな。それとももう自分で出来るのかも。とぼんやり考えた。  私の名前は(もも)(はな)と書いてトウカと読む。麻衣ちゃんは初めて私の名前の字を見て、〝モモカ〟と間違って読んだ。  それ以来麻衣ちゃんから〝モモちゃん〟と呼ばれるようになった。私をモモと呼ぶのは、麻衣ちゃんとばあちゃん、そしてあともう一人いる。 「あ……」  いつも届けてくれてありがとうがすんなり口から出てこない。 「はい、これ」とプリントが入った封筒を手渡される。手に取った瞬間片手だけでは重さに耐えきれなくて、直ぐに封筒を両手で抱えるように持った。最近やたらと厚みがある。一応私も卒業生だから、卒業アルバムに載せる文集とかいろいろ書かなくちゃならないものが結構あった。  自分の分もあるのに持って帰って来るとき重たかっただろうな。受け取った封筒を見つめながら「ありがと……」とやっと伝えることができた。 「モモちゃんに聞きたいことがあるんだけど」  不意に訊かれた。私はドキッとして無意識に身構えた。 「何……?」 「モモちゃんって、みえなくなったわけじゃないんだね?」  何を? と訊き返したくなるのを喉奥に留めて、ゆっくり息だけを吐く。訊かなくてもそれは、私にしか視えていないものを指して言っているのだと理解して。 「――……今は、みえないよ……」  俯きながら小さく言った。  視えないわけじゃない。多分視界に入ってるし声も聞こえるけど、今は全部塞いで無視してる。 「そっか……」と麻衣ちゃんは何だか寂しそうに言った。  ただ自分が気になったのか、それとも誰かに確認するように言われたのかわからない。訊きたいけど答えを知るのが怖くて自分からは何も訊けなかった。麻衣ちゃんの顔をまともに見れずに、夕日に溶かされたような飴色の地面に視線を落とした。  俯いたままの私に、「じゃあまたね」と言って麻衣ちゃんは帰っていった。  麻衣ちゃんは昔と変わらない様子で私に話しかけてくれた。それだけで、私の見方でいてくれているのかはわからなかった。
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