せんさいせん

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 ノブと一緒にいると、私の中の白い反物が色とりどりに染まっていく。  もっとたくさんの色を知りたい。ノブが見る世界を一緒に見たい。そう願ってもいいだろうか。  とその時、闇から這うような声が届く。 「見つけたぞ勝手に逃げやがって」 「誰だ」 「そいつの父親だ。おい帰るぞ」  父――マムシの目がぎろりと光る。  父に従順な私が動かないのを見て舌打ちが聞こえる。  ぐい、と頭が傾ぐ。  マムシが長い髪を乱暴に引っ張ったのだ。 「来い」 「手を離せ」 「関係ない奴は黙れ。おい早くしろ」  乱雑に扱われる自分の存在に疑問を抱いてしまえば、従順になどなれるはずがない。 「――ない」 「あぁ?」 「帰らない。戻らない。絵も描かない」  父に対して初めて否定の声を出した。しかしそれは火に油を注いだようなもの。  烈火の如く怒るマムシは更に髪を強く引く。  痛みに堪えながら私は自分の髪をひとつに纏めて持つと、その髪の上に小刀を当て、ひと思いに切り捨てる。 「なっ、なんてことを!!」  烈火は噴火した。私の前に立つと腕を振りかぶる。殴られるのだと思い目を閉じて歯を食いしばる。  重い音が響いた。  しかし痛みはない。目を開けると目の前にはノブの背中。 「ノブ?」 「娘を殴る奴は父にあらず」  今度はノブの腕が動く。マムシが飛んだ。  ノブは袂から縄を出すとマムシを縛り上げる。 「観念するのだな」  マムシは気絶しているのか動きもしない。 「帰蝶」  ノブが私の元に来ると短くなってしまった髪を撫でる。 「これでは童女(わらわ)だな」 「ノブよりも短い?」 「同じくらいか?」 「じゃあ、一緒?」 「そうだな。これはこれで似合っておる」  私が笑うとノブも笑う。 「しかし思い切ったな」 「似合ってるならいいじゃない」 「そうだな。よく似合っておる。短くてもそなたは美しい。相も変わらず自由に飛び回る蝶よ」  頭の軽くなった私は本当に飛べそうな気がした。  軽やかに飛び跳ねてみると、ノブがカラカラと笑う。 「全く飛べておらぬが?」 「失礼よ」  頬を膨らませる私を見て、ノブは「帰蝶」と手招きする。 「なあに?」 「それっ」  ノブはいきなり私の腰に手を当てると、私を軽々持ち上げてしまう。 「どうだ。先ほどより高くなっただろう」  眩しそうに目を眇めるノブを見て、胸まで跳ねる。 「ノブ」 「なんだ?」 「ありがとう」 「礼には及ばぬ」 「ねえノブ」 「なんだ」  ノブにもっとたくさんの色でこの心を染められたい。ノブという筆によってこの白い蝶は何色に染まるだろうか。 「一緒に海の向こうに行こうよ」  ノブは返事の代わりに私を持ち上げたまま、くるりくるりと回転する。    散らばる漆黒の川では、星の子がまだまだ跳ねていた。     了  
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