せんさいせん

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 日が顔を出したのだろう。白んでいた空に明かりが広がる。  身体を起こすと、白い翅の蝶が私の元におりてきた。 「おはよう」  蝶は私の前で鱗粉をまくように舞う。それから優雅に空を泳いで崖の端に寄った。  白蝶はそこで上下に飛ぶ。まるで何かを示すように。 「どうしたの? お父さんが帰ってきた?」  父が帰って来たならば「おい」と私を呼ぶだろう。訝しみながら腰を上げ、白蝶の方へ足を出す。  刹那。  崖端に何かが現れた。あまりに驚いた私の足は止まり、肩が上がる。  そして何かの隣にまた何かが現れる。何か――そう思ったのは手だ。  そう判じた直後に今度は頭が出てくる。  誰? ――と言う声は出なかった。その代わり私は肌身離さず持っていた小刀を出し、構える。 「よっと!」  身軽な動作で崖上に現れたのは私や父と同じような形をするもの。  これは人間なのか、はたまた魔物なのか……。 「誰だお前?」  鷹揚に問われるが、それを聞きたいのは私の方だ。  黒い着物に、黒い袴。父と同様に太刀を佩いている。 「魔物なの?」 「魔物? 儂がか?」 「違うの?」  自分の声は警戒に震えているというのに、目の前のものは、警戒などなくゆったりとしている。 「魔物に見えるか?」  そう問われるが、私は実際に魔物を見たことはない。魔物だった肉塊ならある。 「それにしてもお前の髪長いな? 鬱陶しくないのか?」  自分の髪が長いことに疑問など感じたことがなかったため返答に困る。 「儂は鬱陶しくて短く切ってしまったわ。そうすると今度は爺たちがやかましくて鬱陶しい。それでうるさく小言ばかり言う爺から逃げてきたのだが、まさかこんな所におなごがいるなど想像しておらなんだ。お前ここにずっと住んでるのか?」  小刀の先を向けているというのに、まるで意に介さず呑気に喋るこれは一体何物なのだ? 「ん? 震えているが大丈夫か、お前? ああ、儂が急に現れて驚いておるのだな。大丈夫だ害は加えない。ああ、そうか。これで良いか?」  私の視線が太刀にあるのを見て、腰から太刀を抜き地面におろした。  まるで悪意などないと示すように、ハハっと笑うそれに毒気が抜かれる。 「……何物だ?」  距離を保ち窺うように問えば、それはしばし考える。 「何者? 曲者ではないが、……うむ。儂はノブだ。お前は?」 「私は……、おい」 「おい? それが名か?」 「いや。名はあったと思う。しかし父が『おい』と呼ぶから」 「それは呼び掛け声だろう。(まこと)の名は思い出せないのか?」 「思い出せない」  ノブと名乗ったそれは口をへの字に曲げる。  それまで見守ってくれていたのか、白蝶が私とノブの間を一回りして帰っていく。  ありがとうね、と心で言いながら見送っていると、ノブは「蝶」と呟いた。 「そうだ!」  目も口も大きく開いてそう言うと、ノブはつかつかとこちらに寄ってくる。 「な、なに?」 「帰蝶」 「きちょう?」 「名前だ。お前の名! 帰蝶はどうだ」 「帰蝶? ……帰蝶」  ノブの目を見ると、夜空の星のように輝いている。 「うむ、いいな! お前は帰蝶だ」  私の胸が大きく脈打った。
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