赤いイナヅマ

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 金閣寺の正式名称が「鹿苑寺」だと教えてくれたのは、古沢先輩だった。  大学に入る前は、金閣寺は金閣寺でしかありえなかった。正式名称なんて、頭の片隅にもなかったから。それが、大学クイズ研究会に入ってからは、正式名称や有名人の本名など、普段は使わない言葉が僕のまわりを平気で飛び交うようになった。 「本田くん。上賀茂神社の正式名称、知ってる?」  クイズ例会の午前の部が終わり、昼食休憩に入った直後に、古沢先輩が話しかけてきた。 「いいえ」  僕は首を横に振る。 「賀茂別雷神社(かもわけ いかづち じんじゃ)というのよ」 「はあ……。初めて聞きました」  早口言葉みたいな長さにうんざりして、ため息が出た。クイズで出題されたら僕には答えられない。古沢さんなら簡単だろうけど。 「有名な神社仏閣の正式名称はクイズによく出るから、覚えておいてね」  僕の肩をやさしくポンとたたく。  茶色がかったショートヘアに、くりくりとした大きな目。古沢先輩は赤が好きなようで、いつも赤を基調とした服を着ている。今日も薄い赤色のワンピース姿だ。化粧はあまりしていない。僕の一学年上だけど、顔つきが幼くて、身長も百五十センチに満たないくらいの小柄だから、中学生だと言っても通用するかもしれない。  そんな古沢先輩は、僕が所属するR大学クイズ研究会では誰もが認めるエースだ。  知識量がずば抜けて多いだけでない。ボタンを押すスピードが超人的に速いのだ。いざ早押し機の前に座ると、電光石火のごとく鋭い押しを連発して、解答権を奪っていく。  今日の例会のときもすごかった。 「問題。学者が俗世間を/」 「象牙の塔!」 「問題。物質の状態で、気体はガス/」 「ソリッド!」 「問題。日本の都市で最も北にあるのは/」 「石垣市!」  問題が読まれて一秒が経つか経たないかのうちにボタンを押す。これで確実に正解するのだから、太刀打ちできるわけがない。  あまりの速さに、一緒に早押しに参加していた僕たち後輩は口をぽかんと開いたままだ。  僕は自分が参加者であることを忘れて、先輩の早業に見とれてしまう。小さな体のどこにあのパワーが潜んでいるのか。  言うまでもなく、今日の例会は古沢先輩の圧勝だった。  クイズ研のメンバーはそんな彼女のことを、親しみをこめて「赤いイナヅマ」と呼んでいた。イナズマのような鋭い押しに疑う余地はまったくない。  僕にとって古沢先輩は「憧れの人」だった。クイズだけでなく、ひとりの「女性」としても。  恥ずかしい話だけと、彼女と比べて僕はクイズが格段に弱い。研究会に入会して半年が経つというのに実力が思うように伸びず、悩んでいた。 「クイズが強くなるにはどうしたらいいですか」  例会が終わったあと、真っ先に古沢先輩に相談した。  クイズ以外の話のときはニコニコとかわいい笑顔を向ける先輩だけと、クイズの話になると人が変わったように真剣な表情に変わる。 「きみは普段、どのような勉強をしているの?」  そう聞かれて、一瞬、答えが浮かばなかった。正直、勉強らしいことをなにもしていないから。でも何かを答えなくてはいけない。 「過去問を読んでいます。あとはたまに自作問題を作るくらいでしょうか」  半分が本当で、半分がウソのような返答だった。  過去問とは、過去の放送されたクイズ番組で出題されたり、過去に出版されたクイズ本に載っていたりする問題のことだ。 「それだけ?」  それだけって――過去に出題された問題を何度も読んで勉強するのが強くなる近道だと別の先輩に教わったのに。 「問題集を読んだり問題を作ったりするのも大事だけと、それだけじゃダメだよ。机上の勉強よりも実体験が大切なの」  ダメという短いフレーズが、心にぐさりと突き刺さる。 「実体験――ですか?」  クイズと実体験というふたつの単語が、頭の中で結びつかない。 「例えば文学問題に強くなりたいなら小説をたくさん読むとか、芸能に強くなりたいならテレビや映画をよく見るとか、地理に強くなりたいなら実際に観光地へ行ってみるとかね」  そういえば本は読まないしテレビもあまり見ていないな。京都に来てから、観光らしいこともしていない。授業がない日はアルバイトをするか、アパートに閉じこもってテレビゲームをするかのどちらかだから。 「さっきの例会で『古都京都の文化財』を答えさせる多答問題が出たでしょ。あくまでも一例だけど、それを全部回ってみるとかね。要は見聞を広めるということ」 「古都京都の文化財」とは、京都府京都市、同宇治市、滋賀県大津市に点在するユネスコの世界遺産リスト登録物件のことだ。賀茂別雷神社(上賀茂神社)、賀茂御祖神社(下鴨神社)、教王護国寺(東寺)、清水寺、延暦寺、醍醐寺、仁和寺、平等院、宇治上神社、高山寺、西芳寺(苔寺)、天龍寺、鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、龍安寺、本願寺(西本願寺)、二条城。全部で十七カ所もある。  例会での答え合わせのときに聞いた登録物件で訪問済みなのは、修学旅行でコースに入っていた金閣寺と清水寺、二条城の三つだけ。訪問どころか、名前さえ知らない場所の方が圧倒的に多い。  見聞を広める――か。古沢先輩のアドバイスなら間違いないだろう。  出不精の僕だけど、とりあえず近場から訪れて、コンプリートを目指してみようかな。  夏休み期間は一ヶ月間、実家のある東京に戻る。実行に移すのは京都に戻ってきてからだ。  二ヶ月ぶりに行われた十月最初の例会の日。会場である大学の講堂で、古沢先輩に堂々と決意表明をした。 「来週の土曜日、上賀茂神社に行こうと思います」 「最初は上賀茂神社にしたの?」 「はい」  とりあえず、大学からいちばん近い寺社仏閣から攻めることにしたんだ。  古沢先輩の目が急に輝いた。 「土曜日ね。じゃあ、私も一緒に行こうかな」 「えっ」  急にそんなことを告げられて、自分の顔がほてってくるのがわかった。 「い、いいんですか?」 「きみの第一歩を見守ってあげる。私のアドバイスを素直に聞いてくれたから、それなりの責任もあるしね」  信じられなかった。僕はしばらくその場に立ちつくしていた。  前日、いつもより早めにフトンに入ったのに、眠れなかった。遅刻は厳禁だ。そう考えれば考えるほど、余計に目が冴えてくる。  僕のアパートは丸太町にある。七階建て学生用賃貸マンションのワンルーム。部屋の上に寝室代わりの小さなロフトがついている。ロフトでゴロゴロと転がりながら、一睡もできないまま朝を迎えた。  気分が昂揚しているからか、食欲もない。前日に用意しておいた菓子パンをひと口も食べられなかった。  パジャマを脱ぎ、枕もとに置いておいた長袖シャツとジーンズに着替える。女性と付き合ったことがないから、女性との行動にふさわしい服装はわからない。お金がないから新しい服を買えない。所持している服で出かけるしかなかった。  朝の八時三十分にアパートを出ると、幸いなことに今日の京都盆地は雲がひとつもない秋晴れだった。山中の小川の水を流したような清涼感に満ちた青空を眺めると、一気にシャキッとなる。天気は僕を応援してくれているようだ。  丸太町駅から地下鉄烏丸線に乗り、三駅で上賀茂神社の最寄り駅である北大路駅に着く。  駅前から乗った路線バスを「御薗口町」バス停で降り、三分歩くと、朱色に塗った巨大な鳥居が目に飛びこんできた。「一の鳥居」という名前の鳥居だ。  足がガクガクと震える。古沢先輩とふたりきりで会うという未知の世界を目前にして、緊張感がいっそう強くなってきた。  一の鳥居をくぐると、土曜日というのもあるのか、観光客が目立つようになる。家族連れよりも、むしろお年寄りのグループが目立つ気がする。外国人の姿もちらほら。道が広いから混んでいる感じはしないけど、この集客力はさすが、世界遺産だ。  白い砂利が敷かれた広い参道を歩いていると、前方に、別の鳥居が見えてきた。待ち合わせ場所に指定した「二の鳥居」だ。今は九時三十分。待ち合わせ時間の三十分前だから、先輩はまだ来ていないはずだ。  鳥居の真下に真っ赤な着物をまとった女性が立っていた。僕たちと同じ待ち合わせなのかもしれない。顔を上げると、女性が僕の方をチラチラと見ている。視線が合った。その瞬間、ギョッとして目玉が飛び出しそうになった。なんと、その女性は古沢先輩だったのだ。 「せ、先輩!」  まさか着物姿だとは思わないから、他人だと勘違いした。例会でよく見かける洋服だったら一発で先輩の存在に気づいたのに。 「驚かせてごめんね」  古沢先輩は申し訳なさそうに、ゆっくりと頭をさげた。  たくさんの花柄をあしらった赤の生地に白い帯を巻いた着物姿は、真っ赤な太陽のように光り輝いていた。わき目も振らずに見入ってしまった。朝のあいさつも忘れて。 「なぜ着物なんですか?」  おのずと、そういう質問になる。 「着物は、私にとって普段着のようなものだから」  京都の女性はみんな着物が普段着なのかな? そんなわけはないと思うけど。  先輩は両腕を広げて、僕に着物を見せびらかすようなポーズをとった。まるでモデルさんのように。着なれているように見えた。 「それは冗談だけど、上賀茂神社に来るときは着物を着るの。男性ならスーツを着るのと同じ。正装としてね」  正装を身に着けるほどの、大切な行事でもあるのかな。 「ここには、よく来るのですか?」 「大会の前日に必ず上賀茂神社に来て、勝利を祈るのよ」  明日、大学クイズ研究会の頂点を決めるクイズ大会が大阪で行われる。全国の強豪チームが集まる由緒ある大会で、ウチの研究会も毎年参加しているのだ。ウチのメンバーはサークル内の上級者九人で、実力のない僕は応援に回る。古沢さんはもちろん、九人に選ばれている。 「上賀茂神社のご祭神は昔から、必勝の神として信仰されてきたのね。だから、神様に力を借りようと思って」  気がつかなかった。 「そういうことだったのですね」  先輩は早押しクイズのときには決して見せないかわいらしい笑顔で「ふふふ」と笑った。  古沢先輩ほどの実力者が神様を頼りにするの? 滑稽というか、意外すぎて。ただ、強い人でもきっと勝負に対して不安があって、神様にすがりたいという気持ちがあるのかもしれない。きっと僕もそうするだろう。先輩の感覚が僕に似ている気がして、なんだかほっとした。 「私、神社が大好きなの。余談が長くなっちゃったね。さあ、立ち話はこのくらいにして、参拝しに行こう」  僕は古沢先輩の横に並んで歩いた。百七十八センチある僕と先輩には、三十センチくらいの身長差がある。  恋人同士のデートみたいだけど、そもそもデートだったら、自分も着物姿でなければおかしい。僕は茶色の長袖シャツとジーンズで、古沢さんとは不釣り合いの服装なのだ。  古沢先輩は気にしていない様子だったけど、気の弱い僕はそうはいかない。  参道を歩いているうちに、次第に先輩との間隔が広くなっていく。いつの間にか、二メートルくらい離れていた。 「そんなに離れたら声が届かないじゃない」 「すみません」  それでも近寄れない。 「もっとこっちに来てよ。きみに尋ねたいことがあるんだから」  先輩の言いつけは聞かなければならない。気力で、間隔を一メートルに縮めたけど、それ以上は無理だった。なんだか急に恥ずかしくなって、至近距離からたき火にあたったように体中がほてってしまった。 「東京生まれのきみが、なぜ京都の大学に入ったの?」  すかさず質問が飛んでくる。なんだ、そんなことか。  京都に来てから何度も聞かれている質問だから、答えやすかった。 「高校の修学旅行が京都だったんです。そのときに京都の歴史と文化に感動したのがひとつ。それと僕は東京の生活にあきていたから、どこか遠方の大学に進んで、四年間だけ東京の喧騒から離れて息抜きをしたい気持ちもありました」 「ご両親は反対なさったでしょ?」 「いいえ。僕の両親は子供の意見を尊重してくれる人なので」 「ウチは逆だったよ。私が東京の大学に行きたいとお願いしても、母は地元の京都の大学しか許してくれなかった。母は東京の人間なのにね」 「え。そうなんですか」 「母はきみと同じ。大学進学を機に京都に来たの。それで父と知り合って京都で結婚した」  話を聞いて――古沢先輩の謎がひとつ、解けた気がした。 「京都生まれの先輩が、いつも標準語を話しているのは――」 「そう。母の影響」  彼女のお母さんの実家は江東区の亀戸だそうだ。僕の実家は江戸川区の小岩だから、総武線の鈍行で三駅しか離れていない。 「子供の頃、お正月に母の実家に帰ったとき、初詣で亀戸天神社によく連れていってもらった」 「亀戸天神は僕も行ったことがあります」 「神社が大好きなのは、そんな幼少時の経験が影響しているかもしれない」  神社の話をする古沢先輩は本当に楽しそうだ。もしかしたら、クイズよりも神社の方に造詣が深いのかもしれない。僕が神社に詳しかったらもっと話が盛り上がったのに、ちょっと残念。  意外な一面に触れて、先輩の存在が半歩くらい近くなったように感じた。それが自分にとっていいことなのか悪いことなのか、判断がつかないけど。  幅が一メートルに満たない小川に架かった小さな橋を渡ると、前方に、全面を朱色に塗った二階建ての巨大な門が見えてきた。高さは十メートルくらいかな。 「楼門(ろうもん)というの。重要文化財なんだよ」  先輩が門の二階部分を指でさした。屋根が横に大きくて、頭でっかちな赤い怪獣みたいだ。  楼門の朱色と先輩の着物の赤色がマッチして、大いに映える。なんだか京都らしいなと感慨にひたっていたけど、そういう場に立ち会ったことが奇蹟なんだ。  今日、古沢先輩と一緒に上賀茂神社を訪れたいう縁を大切にしなくてはいけない。  楼門をくぐると、その奥に緩い傾斜になった石畳がひろがっていた。更にその奥に、拝殿らしき古風な建物が見える。藍色の屋根は、楼門の朱色に比べたら地味だった。  ふたりで石畳の上に立って、その建物を見上げる。 「正面は中門といって、いわば参拝するところ。向かって右側の奥が本殿、左側が権殿(ごんでん)というの。ご神体がいるところね。両方とも国宝だよ」 「国宝……か」  文字のとおり、わが国の宝だ。言葉で言うのは簡単だけど、僕たちは、すごいものの前にいるんだ。 「十時になったら、本殿と権殿の中に入ってお参りができるんだけど。ちょっと時間があるね」 「特別参拝ですね」 「せっかくなので入る?」 「はい」  もちろん賛成だ。少しでも長く、先輩と一緒にいたいから。 「それまで、中門で手を合わせておこうか」  先に拝んでいる人が終わるのを待って、ふたりで賽銭箱の前に立つ。  古沢先輩は腰から四十五度体を折り、二回、頭を深く下げてお辞儀をした。胸の前に両手を合わせて、二回手をたたく。神社が好きな先輩だけに、さすが心得ているなあ。  僕は先輩の横に立ち、その動作を見習いながら、拝礼を続けた。しかし、うまくできない、こんなに基本からやるのは初めてだから。丁寧な振る舞いの先輩に比べて、お辞儀や手をたたくタイミングが悪いし。不器用以外のなにものでもない。  テストではないのに緊張した。終わると、僕は段差の少ない石の階段をゆっくり降りながらふーっと深い息を吐いた。  でも気持ちは負けない。動作は別にして、先輩に負けないくらい強く祈った――と思う。 「これで、明日の大会は優勝ですね」 「そうね。きみも一生懸命祈ってくれたから、間違いなく、ね」  かわいらしい笑顔に見つめられて、心臓がドキドキっと大きく波打った。この緊張感、決して悪くはない。 「本田くん。クイズ研の皆さんが私のことをなぜ『赤いイナヅマ』と呼ぶか、わかる?」 「えっ?」  急にクイズを出されて、先輩とのふたりきりの夢の世界から、いきなり現実の世界に戻された気がした。  一瞬思考が止まったけど、今までに考えていたことが自然に口から出た。 「ボタンの押しが、イナズマのように速くて鋭いからですよね?」 「それもあるけど、いちばんの由来は、私がこうして好んで、上賀茂神社を訪れるからなの」  イナヅマと上賀茂神社にどういう関係があるのだろう。 「この神社の正式名称と、上賀茂神社のご祭神がどういう分野の守り神かを考えればわかるよ」 「えーと」  ここに来る前に上賀茂神社のサイトをチェックしたつもりだったのに、なにも頭に浮かんでこない。必死に思い出す。きちんと勉強しておけばよかった。答えられなかったら、先輩の前で恥をかいたまま終わってしまう。  待てよ――確か、正式名称に雷(いかづち)という漢字が使われていた。 「雷に関係がありますか?」 「そうね。大いにあるかもね」  先輩は僕の顔を見上げながら、いたずらっぽく笑った。  そこから先が閃かない。降参するしかないのか。  頭を抱えていると、先輩が「きみには難しかったかな」とつぶやくように言った。 「主祭神の賀茂別雷大神はね、『若々しい力に満ちた、雷を別けるほどの力を持つ神』なの。その名の通り雷除けの神でもあるんだけど、雷から派生して、電気関連産業の守り神としても知られるのよ」 「電気――ですか」  頭の中にまったくない知識だった。 「電気の電という漢字は、音読みでは『でん』と読むけど、訓読みではなんと読むかわかる?」  先輩らしくクイズで攻めてくる。腕を組んで考えこんだ。僕は工学部に属する典型的な理系人間で、漢字が大の苦手だ。そんなの、わかるわけがない。 「し、知りません」  僕は今にも泣きそうだった。悔しかった。 「訓読みでは『イナヅマ』と読むの。『赤いイナヅマ』のイナヅマは電気のことなの」 「そ、そうなんですか!」  驚きの声を上げた。 「でも先輩。イナヅマは、お米の稲と奥さんを表す妻と書くんじゃないかと。まさか電気だとは誰しも思いませんよ」 「そうだよね。きみの言うとおりだよ」  僕は首をかしげるだけだった。神社の正式名称に『雷』が入っているから、よけいにそう思ってしまう。 「でもね、そこがクイズ研なのよね。良い意味で」  良い意味で、というところを強調した。先輩は僕の方に視線を向けて、小さく苦笑いした。 「クイズに縁のない市井の人は、電気の電が『イナヅマ』と読むことを普通、知らないよね。だけどクイズプレイヤーは、普段からそれこそ森羅万象のことを勉強しているから当然知っている。クイズ屋さんは、そういう、自分の知りえた特殊な知識を披露したくなるの。そういう自己顕示欲から派生して、私に『イナヅマ』というキャッチフレーズを付けたというわけ」  要するに、クイズ研に属する人間特有の発想や性格から生まれたあだ名だったんだ。なんだかよくわからないけど。 「でもね、本田くん」  先輩はまた、ふふふと小声で笑いながら僕を見上げる。 「キャッチフレーズの良し悪しはともかく、私との会話を通じて、上賀茂神社の知識がたくさん身についたでしょ」  そういえばそうだ。先輩との行動や会話を通じていろいろなことが頭に入った。知識だけでなく、参拝の仕方も身についたし。 「クイズの知識はこうやって、楽しみながら増やしていけばいいの。問題集を無理に読みこまなくてもいいんだよ」  確かに僕は強くなりたい一心で、無理やり問題集の問題を頭につめこもうとしていた。机上の勉強では身につかないと言っていた、先輩の言葉の意味がやっとわかった気がした。  先輩の前向きなアドバイスを聞いて、やる気が体中からみなぎってくるようだった。そのせいか、めまいが起こったように体がふわふわとしてきた。 「僕、少し自信がつきました!」  僕は右手を突きだして大きくガッツポーズをした。 「クイズ、一生懸命勉強します。必ず強くなりますから!」 「そう。その意気だよ」 「そして強くなったら――」 「強くなったら?」 「今日みたいに、僕と一緒に上賀茂神社を歩いてくれますか?」  驚いたように口をあんぐりと開けた。十秒くらい間が開いたあと―― 「私を超えるくらい強くなったら考えてあげる。その代わり、努力を怠ってはダメよ」  堂々と言ってくれた。 「はい!」  先輩を超えるのは難しいけど、大きな目標ができたぞ。  一緒に歩いてくださいとお願いしたとき、先輩の頬がぽっと赤くなるのを見のがさなかった。僕は思った。もしかして、そんなことを先輩に言った男性は、僕が初めてだったんじゃないかと。 「ちょっと授与所に寄ろうか」  そんな表情をごまかすかのように、先輩は右の方向にあるお店に視線を向けた。建物の上の方に「お札・お守授与所」という看板が掲げてあって、観光客らしき人が数人、売り物を眺めている。  店の前の台上に、たくさんの種類のお札やお守りが並んでいた。 「これ、かわいいでしょ」  野菜のナスに似た、五センチほどの丸い物体を指でさした。赤い敷物の上に十五個ほど、置かれている。ナスにしては少し丸っこいけど、並んでいるところは壮観で、まるで幼稚園児が遊ぶミニチュアの八百屋さんみたいだ。 「賀茂ナスみくじといって、おみくじなの。この神社の名物なんだよ」  これが? どこにおみくじが入っているのか。 「きみと私の運勢を占ってみようか」  先輩はみくじをふたつ、手に取り、販売員の巫女さんに手渡した。 「僕の分は自分で払います」 「いいの。今日、つきあってくれたお礼だから」  むやみに断って、機嫌を損ねたらまずい。迷ったけど、ここは先輩の善意だと思って甘えることにしよう。 「底のシールをはがして、中からおみくじを取り出してね」  賀茂ナスみくじを受け取ると、言われたとおりに底のシールをはがして、中から丸まった紙を引っ張りだした。 「一緒に開くよ。せーの!」  先輩の音頭で一緒に紙を開く。お互いのおみくじを見せあうと、なんと、僕も先輩も「末吉」だった。末吉は順位的には下の方だ。 「凶でなくてよかった」  胸に手を当てて、先輩はほっとしたような表情をしている。でも僕にとっては順位などどうでもよかった。先輩と同じ末吉だったから。 「おみくじのお返しをさせてください。明日の大会での活躍と勝利を祈って、勝守りをプレゼントします」 「きみは、気を遣わないでいいんだから」  遠慮する古沢先輩をよそに、再度、授与所の前へ行き、「勝守り」を手にとった。そして、その隣に並んでいた「縁結びのお守り」も。  僕は売り場の巫女さんに大きな声で言った。 「これ、ふたつください!」                          (了)    1枚目に掲載したクイズ問題の続き 「学者が俗世間を離れて研究の没頭することを、何の塔に閉じこもるというでしょう?」 答え・象牙の塔 「物質の状態で、気体はガス、液体はリキッドといいますが、固体は何というでしょう?」 答え・ソリッド 「日本の都市で、最も北にあるのは稚内市ですが、最も南にあるのは何市でしょう?」 答え・石垣市
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