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「生」
そして、彼女の短い生は幕を閉じた。
最期の最期まで無慈悲な疼痛に蝕まれ続けたことを考えると、ある意味、彼女はようやく安らぎを得ることができたのだ。これからは痛みのない世界から、今までと変わらぬ慈愛に満ちた瞳で僕を、僕たちを見守ってくれるのだろう。
そう思わなければ、自分が壊れてしまいそうだった。
「ピー」という不快な高音が病室内に響き渡り、機械が彼女の死を鳴らし続けている。
次第に、自らの意思とは無関係に、後悔や罪悪感が精神を支配し始める。
僕は彼女に何をしてあげられた? 僕にできることはまだあったんじゃないのか?
「御臨終です」
立ち会いの担当医がこともなげに述べる。
そんなこと言われなくとも分かる、と声を荒らげそうになった。だが仕方がない。それが彼らの仕事であり、彼らの中での“死”は日々目の当たりにするできごとであり、彼女の死もまた、大勢のうちのたった一つに過ぎないのだから。
彼女の両親は互いに肩を抱き寄せ、慰め合っていた。僕はその姿を見ることができなかった。
僕は今、何を思うべきなのか。
彼女の死を嘆き悲しむべきか、彼女がようやく安息を享受できたことに胸を撫で下ろすべきか、己の無力を呪うべきか、淡白な医者に腹を立てるべきか。
どれも等しく正しく、等しく間違いである気がしてならない。
今更何をしたところで、もう彼女は帰ってこないのだから。
ふと、彼女の声が蘇る。
——生きてるものはいつか必ず死を迎える。それが早いか遅いか、ただそれだけのことだよ。死はこの世に存在する唯一の絶対。だって、死なない人間なんていないもの。
まだ病に侵される前、何の話からか、彼女はそんな言葉を口にしていた。
そんな彼女も、病に臥せてからは穏やかな死を望むようになった。
自分の力だけで歩くことがままならなくなると、それをきっかけに死への羨望は増し、気丈な彼女はそれまで表さなかった弱音を零した。
——ごめんね、今日ちょっと辛いんだ……。
日を追うごとに自力でできることが減り、何をするにも介助が必要になる。やがて起き上がれなくなり、満足に手を動かすことも難しくなってゆく。食事や排泄を始めとした、最低限の“人間らしい生活”が一人でできなくなると、彼女はいよいよ「死にたい」とはっきり訴えた。
常に激しい痛みを伴い、人としての尊厳を徐々に害われ、徒に死を待つだけの時間がもはや生とは呼べないものであることは推し図るまでもない。
ましてや、彼女の死生観を知っている僕からすれば、その苦しみを思うと自分の身が裂かれるのも同然だった。
それに追い討ちをかけるように、氷水のような無力感を頭から浴びせられている気分になった。僕はただ話を聞いて、細って骨張りつつある手を握ることしかできない。それが何になるのだろうかと何度も自問した。
既に、結論はでているというのに。
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