22.後悔しないように

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22.後悔しないように

 翔子が里帰りしてから数日後のこと。 「しょーたろタイム、はーじまーるよー」  いつものネット配信が始まる。  けれど今日はどこか様相が違っていた。その理由を本人が説明する。 「今日はだねー。私がアルバイトをさせてもらっていたカラオケ店の店長のご厚意で、なんとカラオケボックスの中から配信をさせてもらってるのです」  バイトをしていたと過去形にならざるを得ないのは寂しいけれど、それは仕方のないこと。  翔子がスターダストステージで優勝して以来、当然のようにアイドルとしての仕事が忙しくなってきたのだ。そちらに専念することになるのはごく自然の流れ。  それでも、バイト先の店長は翔子の活躍を心から祝ってくれたのだった。 「というわけなので、自宅と違って存分にでかい音を出せる。つまりは歌えるのです! 歌うよ! 歌いますよ~! ……後でね~」  普段歌わない歌を、いくつか歌ってみようかなとか、翔子は思った。 「さてさて。ではまずみんなの声を聞いてみようかな」  翔子はパソコンの画面を右から左に流れていくコメントを眺め見る。  毎度そのコメントに返事をしていくお決まり。 「ん? しょたろの格好はなんなんだって? ……そんなん見りゃわかるっしょ? キツネちゃんだよ。コンちゃんだよ。もふもふ尻尾にふさふさの耳!」  キツネ耳のカチューシャに加えて着け尻尾。翔子はなぜかそんな格好。 「何で狐娘やってるんだって? そんなん決まってるっしょ! すっごく可愛いじゃん! お耳も尻尾もキュートで、とにかくものすっごく可愛いから、今日は私も狐ちゃんになりきってみたわけなのさっ!」  結局視聴者は翔子が狐になった理由がよくわからなかった。けれど、まあ、何となくそういう気分なんだろうきっと。よくはわからないけれど、しょーたろのことだからまあしゃあないやーと、みんな深く考えずに納得することにした。視聴者は皆よく訓練されていた。 「というわけで次のお便りメールを読むよ。……なになに? しょたろはこれから事務所を移籍してメジャーデビューするのだろうけれど、こういう時こそ不祥事に気をつけろ! 足下をすくわれるな! ですと? ……うん。そうだね。ほんとそれ。気をつけるわ。この業界、ちょっとした不祥事で消えていく人って多いからね」  うんうんと頷く翔子。気を引き締めなければと思っていた。 「じゃあ次。んーと? 薬物だめ! おいしょーたろ! いくら辛くてしんどくて寂しかったりしても、ヤクやってラリって捕まったりするんじゃねーぞ! 絶対に薬物はダメだ! ですと? いやはやまったくその通り! 薬物絶対だめ! そんなん心も体も家計も友人関係も人生ごとぶっ壊れますわい!」  コメント欄が忙しくなっていく。 「つぎー。なになに? 彼氏を作るのはまあしゃーないにしても、妻帯者に手ぇ出したりしたらだめだぞー? ですと? ……ああもう、正論すぎて頷くことしかできませんわ! そうね。そういう、人としていかがなものかというようなことは、やってはダメだよね。人様の人生を大きく狂わせちゃうことだしさ」  なんだかコメント欄が保護者じみてきた。 「次! 酒は飲んでも飲まれるな! マッパになって公園で騒いだりして警察のお世話になったりしてはダメだぞ! おぅ……。それもまたまったくその通り! お酒は節度を守って飲もうね! ……つぎ! 有名になったからって図に乗ったりして、スタッフさんに横柄な態度を取ったりしちゃだめ! 謙虚さを忘れるなよ! ですと? まったくもってその通り! ……って、なにさ、みんな私がそんな鼻高々な天狗さんになっちって増長するって思ってる? ないないないよそんなこと! いつだって初心を忘れたりはしないさ私は! でもありがと! そうならないように気をつける! 慢心だめ絶対! ……つぎ! 絶対に金銭感覚を麻痺らせんじゃねーぞ! ホスト狂いになったり買い物依存症でブランドものを手当たり次第に買い漁ってリボ払いしまくって破滅とか言語道断だからな! ……わーっとりますわい! 金銭感覚はバランス大事よね! クレカは一括払い! スーパーの特売デーとかポイント二倍デーなんかは今でも忘れておらんわ! っていうかみんな、あたしのかーちゃんかよ! さっきからなんなん!? そんなにあたしが心配なん? まあ心配だよなー頼りなくてごめんよ! みんなありがとーね! いろいろ気ぃつけるわ!」  みんなが見ていた。  昔からのファンも、スターダストステージで新たに翔子を知ったファンも、芸能活動に反対していた(と、翔子が思いこんでいた)両親も、そして……あの子も。 「しょーたろさん、お耳と尻尾が可愛いです! 私とお揃いです~!」  お兄さんと一緒。自宅で配信を見ている狐乃音は、はしゃいでいた。あの狐耳と尻尾は、間違いなく自分のオマージュなのだろうから。  翔子は尚も語る。 「実はねー。私、この前ちらっとね。実家に帰ったんだ」  その瞬間、画面が『!?』で満たされた。  アイドルとしての活動は認められていなかったとか、家族との関係不和だとか、不穏なことを示唆されていたのだから。  そしてコメントが満たされる。どつきあいにならなかったか!? ご両親と掴み合いの大喧嘩したのか!? 暴力だめ! 穏便に! とか、そんな感じ。 「ないない。落ち着いた話ができたよ。そんでね……いろいろとこう、行き違いが重なってさー」  お父さんと共に翔子はお母さんにお説教を食らったのだった。二人とも、ちゃんと話を聞きなさい、と。  お互いに意固地になった結果、関係が断絶状態になってしまい、時間だけが流れていった。そんなことは誰も望んでいなかったはずなのに。  お母さんはしょうがないわねえとため息をつきながら、言った。  翔子が本気でアイドルをやっているのはわかってる。お父さんが抱いていた常識的な懸念もまあ、それなりに理解できることではあるのだけれど、今は本人の『やってみたい』という強い気持ちを尊重してあげて、と。  これまでは仕方がなかったとして、これからは全面的に協力するから、思う存分やりなさい。そんでもってしんどいときは、無理をせず遠慮なく実家に帰ってくるように! そんな愛情に満ちたお説教。  業界では日夜激しい競争が繰り広げられていて、いつ終わりの時がくるかわからないのは確か。アイドルとはそんな、極めて不安定な立場。  だから一つだけ。あんたに言っておきたいことがあると、お母さんは翔子に念を押した。 「後悔しないようにやりなさい。ってさ。そうだよね。どんな結果になろうと、胸を張って、私はやり遂げたぞって言えるようにね」  狐乃音は画面の向こうに見える推しの表情を見ていて、確信した。晴れやかな笑顔は迷いがない。 「しょーたろさん。闇は完全に消えましたね」 「そうだね」  これはきっと、大ヒット連発間違いなしだろう。スターダストステージでの躍動をまた存分に見られるに違いない。狐乃音はわくわくした気持ちに包まれていった。 「お兄さん」 「何かな?」  座椅子に座っているお兄さんの足の間に、小さな狐乃音はちょこんと収まっていた。 「私。しょーたろさんのお役に立てましたでしょうか?」 「もちろんだよ。ほら、ご覧。しょーちゃんも狐乃音ちゃんと同じように、可愛い狐ちゃんになっちゃったじゃない」  お兄さんの手が狐乃音の頭を優しく撫でてくれた。 「えへへ」  画面の中の翔子がマイクを握り、歌い始めた。  聴いたことのない歌。できたばかりの新曲なのだとか。  狐乃音は嬉しくて、にこにこと笑っていた。  もふもふした狐尻尾もまたご機嫌に、ふさふさと左右に揺れていた。
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